2007年5月13日 午前10:00ころ
笠岡市吉田 藤五郎池(とうごろういけ)
藤五郎の話はなにかよくできているようでもあるし、そうでないようでもある。
いかにも井笠地方らしさがにおう話である。
民話としてはおもしろい。
昔むかし、藤五郎が朝飯まえに掘りあげたという池の水。
藤五郎は感謝されずに逆に殺され、その名だけが「藤五郎池」として今に吉田に残る。
藤五郎池
この池は昔この村に住んでいた藤五郎という大へん力の強い人が、140キロもある鍬をふるって、あさめし前にほりあげたというので、「朝の池」ともいわれています。
藤五郎はあるとき、江戸の力士とすもうをとるこlとになりました。ところが、彼はまわりが40センチもある青竹を両手でしごいてわり、それをまわしにしてさあ来いといったので、江戸の力士は恐れて逃げたということです。
藤五郎の力があまりに強いので、村の人たちはだんだんおそれるようになりました。「藤五郎が生きていては安心できない。」「何をするかわからない。」「どうかして殺してしまいたい。」と考えるようになりました。ある日のこと彼は庄屋よばれました。母は「きょうは長いきせるをもって行け。」と言いましたが、藤五郎はみじかいきせるをもって行きました。そして庄屋といろいろ話をしながら、たばこをすおうとして大きい体を前にかがめた時、うしろから不意にきりつけられ、ついにころされてしまいました。
昭和35年出版・ひらけゆく笠岡 笠岡市の伝説抄
藤五郎が庄屋で殺されたなら、
その庄屋は、関戸の○○家ということになるな、
ではその話は○○家にも「藤五郎横死の部屋」と伝わるものがあるのだろうか?
池を歩きながら要らぬことを思うえいちゃん。
えいちゃんが先に「井笠らしいはなし」、というのは。
藤五郎を引き立てるのではなく、引きずり落す、そういう人の風土をこの地方に今も感じるから。
井笠からはそこそこの人物は出るにしても大人物は出ない、
この藤五郎の話は井笠の人のみんな共有する面があるように感じる。(←、あくまで、えいちゃん一人の感じかたです)
もうすぐで、今年も、この地区の田んぼは藤五郎池の水をはる。
2007年5月1日
2007年5月16日 画像変更。2007年5月1日の藤五郎池は場所が間違っているとのご指摘あり5/13再度吉田に行った。