2007年5月11日 午前7:20ころ
笠岡市神島外浦 「源吾郎さま」
源吾郎さま
神島外浦の正砂(しょうさこ)という部落にある源吾郎さまは、胸の病気におかげがあるといわれ、さんけい者は小さな弓と矢をつくって、おそなえすることになっています。
これは、むかし、この島で源氏と平家の戦争があったとき、源氏のさむらい田原源吾が自分の矢が敵にとどかなくて(たらなくて)平家の矢きずうけました。
そしてとうとうここでなくなりました。
死ぬるとき、「矢がたらなくて戦争に負けたのがくやしい、わたしの墓に弓と矢をそなえてくれたら胸の病気をなおしてやる。」といったからであるといわれています。
昭和35年出版・ひらけゆく笠岡 笠岡市の伝説抄
ところが、
神島の「源吾郎さま」にきてみれば、それは「現吾大明神」であり、
しかも。
源吾郎は、
源氏の侍でなく、平家の侍。
名は田原源吾でなく、俵現吾。
神島の戦いでなく、水島の戦い。
弓が届かない侍でなく、強力の弓武者。
「墓に弓と矢をそなえたら」願いをかなえるでなく、「神として祀るなら」。
短い話ではあるが、伝説は市の本と違いすぎた。
この由来をみながら、えいちゃんは呆然となった。
こういう違いがありすぎるところが、また面白い。
話としては市より神島のほうが出来ている。
市は昭和35年の話、神島は昭和50年。この15年の間に850年前の伝説が変化したとも思えない。
話の真実は伝説だから求めようもないし、その必要もないけど。市と神島の話の出処だけは知りたくなるな。
「源吾郎さま」(「現吾大明神」)は札所と並んでいる。
神島88ヶ所23番薬王寺。
お参りする人は同時に薬王寺と現吾大明神を訪れることになり、別格神社として現吾さまはいつまでも信心される。
「現吾大明神」から前を見れば、林の合間に神外小学校や神外中。
その前に青い海がひろがっている。
2007年5月11日