2007年10月13日 午前10:40ころ
笠岡市北木島町豊浦 元・北木小学校豊浦分校
豊浦の木造校舎は2〜3年前まで残っていた。
取り壊されて今は集会所になった。
幼稚園と小学校は同じ敷地内だったが、
今は豊浦集会所と繋がっている。
元・北木小学校豊浦分校の校門。
校門は残り、二宮金次郎も残り、分校跡地の記念碑も残り、校訓も残る。
豊浦分校には1・2・3年生が通い、4・5・6年生は大浦にある北木小学校に通っていたそうだ。
分校当時、お祭りとなれば(校舎隣が神社。1週間前が豊浦の祭りだった、そのことで)・・・・とおばあさんが話かけてきた。
「子ども神輿は三つありました。・・・今は、子ども神輿はでません。豊浦に子供はいません。
この家も空き家です。
あの家は一人住んでいますが、半分施設住まいです。」
おばあさんは一軒いっけんの家の説明をしてくれた。
どのウチも老人の独り住まい、
大きなウチは空き家状態。
そして、
「今日は土曜日なのでここでゲートボールをしてました、それが終ると家に帰り、もう家からは出ません。」
おばあさんは借りた本を公民館に戻した帰り道だった。
今年か、去年。完成したばかりの豊浦の雁木。
老齢化と細りいく人の数、
それに立ち向かうのはもはや不可能、現状を受け入れるまま、いつかくるその日を待つ。
そういうさびしさが漂う豊浦の町だった。
2007年10月17日