2006年9月3日  午前10:20ころ
笠岡市茂平 井笠バス路線(大門〜茂平工業団地線)


このバス路線は短い。

笠岡市茂平のJFE福山製鉄所笠岡門の近く、ヒルタ工業を始点として福山市大門の国道2号線大門農協が終点となり路線距離は4キロとない。


おまけに言えば全路線、昭和40年頃まではこの路線は道が存在しなかった。畑・山・田んぼ、そこに道をつくったもの。
少年えいちゃんの、少年の思い出の日の場所である。






「茂平工業団地」。


ヒルタ工業の玄関門にある。





バス停場所はヒルタの所有地だろう。


ここは苫無(とまんし)といって、子供の海水浴場になり。
漁師は砂浜に網を干していた。
松林があり、その向こう側に塩田跡があった。









おつぎ、
道の木に倒れかかるようにバス停はあった、
「工業団地中」。




朝夕とJFEの交替時間には混雑する道。



右手、茂平運動場。左手、川岸工業があるところ。


海は外海(そとうみ)と呼び、それに対して内海(うちうみ)があったところ。
内海では茂平の最大の人出の行事があった。
それが、9月第一日曜日の”イナ獲り”。
井原・神辺からもイナ獲りに来ていた、その次の日曜日がお隣・野々浜のイナ獲りだった。
今日は9月第一日曜日。












まもなく交差点で左折する。



そこに、
「茂平西」バス停。




茂平西バス停は西に向かって左車線側「カネソ21」の工場まえにあり、




右車線側は「アサムラサキ」の工場の前にある。


このあたり、田んぼと畑が混じっていた。
畑はトーガキ畑がおもだった。

トーガキ畑は白トウガキ・赤トーガキがはんはんくらい。
一つの畑には一つため池があり、
そこでガンツーを捕って遊んだり、
フナを釣ったり、
しょっこんを釣ったりしていた。
















「坂里団地」





坂里団地は昔、山だった。
日本鋼管の埋立土を採るために山を崩した。

その跡地が団地になった。


バス停はホテル・ベルサイユの法にひっつくようにしてある。

坂里の山畑の頂上に、まあるい古墳があった。
そこで遺跡を掘る真似事をして遊んでいた。

今、思えば、大変珍しい形の古墳で以後見たことがない。
山を削り完全消滅したが、
福山市・笠岡市とも、この古墳は市史に詳しく載っている。










この坂道を下りだすとこが、福山市と笠岡市の境で、広島県と岡山県の境。




男の子供たちだけで大門駅に行くことがあった。
汽車に乗るのでなく、
大門駅前の雑貨屋で漫画本(「少年」とか「冒険王」とか)を買う時、それにメジロを捕る鳥モチ(モッチと呼んでいた)を買いに行く。
途中、最大の難所があった。

それがここ坂里峠。
「山賊が出る」、
昼暗いこの峠の山中を通る時、
目をつぶるように走り抜けていた。









この広島県側は「野々浜」だったが、平成になった頃から「大門町六丁目」になった。





もう、茂平のとなりは野々浜じゃないんだ。





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2006年9月3日