2006年7月23日 午前10:40ころ
笠岡市大島中正頭 天王祭

えいちゃんは不安というか不思議というか・・・

ほんとに今日は天王祭りの日なのだろうか?
ほんとにこれが、あの天王祭りだろうか?

わからなくなった。




鳥居の前に一人、老人がいた。
老人氏に聞いた、確認した。

「今日はお祭りの日ですよね?」


・・・・・以下は老人氏のはなしです。・・・・・・・


ここにはもう人がおらん。




あっこの学校(手で大島東小を向けて)にワシの時には70人いた。
学年でじゃ。

いまは27人じゃ、
1年から6年、全校でじゃ。


今は空き家ばっかしじゃ。


この浜の通りは店があり、
漁師がいて、
農家は杜氏にも行き、
学校の校長も大勢いた。

「あさの校長先生の家はどこですか?」
いうて聞かれてもわからん、
すぐ「したの名はどうゆんじゃ?」ゆうて聞きなをさにゃいけん。








祭りの日には吉備津神社から神主さんがきとった。(それほどのお祭りであった)

今は寄島の大浦神社から呼んどる。



この神輿は担いどった。
それが、担ぎ手がおらんようになって車をつけた。

そしたら、今度は。
車を引っ張るのもおらんようになった。




昔は潮をみて祭りの日を決ょうた。


日曜日でないと人も担がないし、
見物にも客が来れん、ゆうことで。

祭りの日を日曜日に代えた。

そしたら、日曜日にはよそで花火がある、遊びに行く、ゆうて誰も集まらんようになった。










昔は子供の日が過ぎたら、
すぐ「のりこ」を決ょうた。

(のりこは「乗り子」と書くのだろうか?、御船神輿に幼児が乗る)

わいわいゆうて選んで、こんどは親に頼みに行く。

頼むほうも、頼まれるほうもたいへんなんじゃ。

相手はまだ3歳くらいな子供じゃ、
その子が祭りまでの日に太鼓を覚えにゃいけん。


大人と青年団が家に行って太鼓を教えるんで、家も子供もたいへんじゃ。






この海には船がいっぱい並んで見物人が集まりょうた。

夜には花火を挙ぎょうた。
その音で、家の中にいる人もみんな花火を見に出ようた。













神輿をうえに(神社まで)揚げるのはたいへんじゃった。

急なんで松にロープを掛けて、上から引っ張りながら揚ぎょうた。
それを何回も繰り返しながら揚ぎょうた。



この道を拡げにゃあいけん、ゆうことになって鳥居を移した。
前は海に出ていた。


それでこの鳥居はここにあるんじゃ。
松の木はその時、枯れて切った。
















祭りはそりゃあにぎやかで、親類が家に集まり婦人は休むことも楽しむことも出来なんだ。
それで小祭りがあった。
小祭りの日に婦人は実家の親類を呼んで祝ぅとった。





祭りは誰も祝わんようになった。

当番がしょうがないんでしとる、ゆうだけじゃ。
止めるわけにはいかんし。



この神輿も動くのか、
祭りの日ゆうて飾ってあるだけなんかわからん。


当番が「人がおらん」ゆうてしまえば、それで決まりじゃ。






祭りの日の名前にワシの名を出すなゆうとんじゃ。
名前を出すのが(古人に)恥ずかしい。







神社まえの県道。
神社に向かい歩いてくる子供はいない。
大人もいない。
そして歩いてくる老人もいない。



神社境内に、前夜の火の跡も見ることはなかった。





つぎ・一文字の大観覧車














2006年7月23日