2006年7月8日 午前12:00ころ
広島市中区 神屋町
今日広島に来た目的、
それは、おせわになったmさんにお会いするため。
今日は11:30、そごうの正面・時計の下でmさんと再会する。
たいへんお世話になったm氏。
それは、えいちゃんが新社会人の年。
いまでも、最初の年のことはよく覚えているな。
4/1・広島国際ホテルで入社式。
4/2・江田島で教育訓練(2w)
4/15ころ・中国支店経理部配属
4/E・中国支店呉事務所配属
・・・・・。
それからちょうど1年後の、
4/E・南九州支店鹿屋へ転勤。
そういうことで呉で1年間過ごした。
mさんと同じ職場にいたのは・・・・、たったの三ヶ月間。
昭和46年(1971年)呉市日新製鋼の製鉄所の構内にあるP建設日新製鋼工事事務所で、”上司”と”部下”の関係だった。
部下のえいちゃんは1年目の新入社員、上司のmさんは9年目で事務主任。
mさんほど誠実な人はいなかった。「いしあたま」と呼ぶ人もいたほど。
mさんは新人えいちゃんに日常業務の指導の合間、社会人として、P建設社員としての話をいっぱいしてくれた。
mさんは東京のC大学へ入学のため上京した最初の夜、『チチ キトク』の電報が届き、そのとき父を亡くされたそうだ。
そのためもあり、お母さんのことを大切に言われていた。
奥様は「ミス○○」(←、広島市の女子大)と評判であったが、美貌はむろん、家庭的な奥様だった。
mさんと机を並べてた期間は短かかったが、
mさんのことはいつも頭にあった、それは。
「mさんなら、どのように対応するだろうか。」
問題がおきる度、えいちゃんはmさんを思い起こして処置を考えていた。
mさんは呉のあと、広島・福山・名古屋・東京などに赴任。
その後定年退職され今、
郷里の安佐南区で町内会長をされている。
mさんは生粋の広島人で、もちろん大のカープファン。
2006年7月9日