2006年3月28日  午後2:30ころ
福山市通り町 木綿橋(もめんばし)


いつもまばらな福山の通り町。

その通り町に木綿橋の記念碑がある。







木綿橋(もめんばし)。
この橋は福山築城より昭和13年まで存在した。

”堀にボラが住む”と歌われた福山城までつつく入江に架かっていた。







入江の埋立で姿を消した。








福山の人たちにとって300年間にわたり、いちばん身近な橋で親しまれてきた。


そして界隈はいちばん賑やかなところでもあった。









福山の人だけでなく、近隣の人々にとっても木綿橋は福山を代表する橋だった。

青年団時代の父は船に乗ってここまできていた。



父によれば。

茂平の果物を漁船に積んで木綿橋まで行く。
その日は船で一泊し、
翌朝船から市場へ降ろす。
その時は市場の人も手伝いをしてくれた、そうだ。

前夜、元気のいい人は近くの遊郭で遊んでいたそうだ。


茂平の果物はそういうルートで福山で消費されていた。

茂平の果物は今も福山が消費地ということはつづいている。


















木綿橋をすこし過ぎたところの青果市場。
古い簡素な店が名残を残している。










ところで、木綿橋の碑は道を挟んであり。
↓の写真のように横断歩道は、木綿橋を渡るイメージになっている。









姿を消して70年の木綿橋。

もはや記憶の人々も少なく、写真で知るだけの名物橋になりつつある。







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2006年3月29日