2005年5月2日 午前11:30ころ
愛媛県南宇和郡御荘町平城703 (南レク御荘公園)


昭和20年7月24日、
豊後水道上空で撃墜された紫電改1機が、昭和53年に南宇和の海底から引揚げられた。

そして戦闘があった空と、沈んだ海の両方が見渡せる山に保存されている。
それがココ「紫電改記念館」。

日本では唯一の紫電改だそうだ。(米国に3機保管)









この「紫電改」には「海軍松山343航空隊」司令・源田実という話が残る。



世界最強の戦闘機部隊。


昭和20年3月19日。
呉方向に向かう米軍機に対し、
計54機の「紫電改」が発進。

松山上空で、激しい空中戦を展開、57機を撃墜した。






この話は、たぶん。

源田実のつくり話だと思う。


昭和も20年になれば、戦える力は日本には残っていなかった。

(もし、発信したのであれば米軍が去ったあとではなかろうか?)









紫電改。

ゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、
旧海軍のもっとも優れた戦闘機だったと言われている。



全長9.34m 主翼11.99m
高さ3.9m 重量4.86t
 時速620km
エンジン2000馬力

武装、機銃 20mm x4
    爆弾 250kg x2













搭乗員3人、ただし実際は搭乗1名だったようだ。




館内の説明のよれば400〜600機程度生産されている。


この当時はもはや、飛行機といえば。
練習機も偵察機も爆撃機も戦闘機もごったごちゃ。

地上よりいったん飛び立ち、米軍と遭遇したなら間違いなく死しかなかったであろう。








戦果なく散った機と英霊。

ほとんどが20歳ぜんごの若者。
時代の犠牲、国家の犠牲、海軍の犠牲。


ああ合掌。


















そしてバスは宇和島で昼食。

あとは岡山に向かって走るだけ、帰るだけ・・・・呑むだけ。









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2005年5月3日