2005年5月1日
高知県 四万十川・足摺岬


GWに一度は出かけせんと。

と、両備バスのツアーに申込をしていたが。
かんじんの天気の方は雨の予報。

実際の天気は予報以上にあたった。どしゃぶり。


(四万十川)


コース最初の観光は四万十川「舟母船」。

ところがこの船には屋根がないので、屋形船運行の変更となった。
まあ、この時ほぼ小雨ちょぼちょぼになった。


(この船にのった、遊覧ほぼ30分くらい。川ではヤラセで投網をみしてくれました)







そして次は足摺岬へ。
霧がかかりバスの窓からは景観見えず。

雨の中を歩くお遍路さんが何人か見えるだけ。






足摺岬展望台に着く。
ぼっけい風。
強風。







えいちゃんはバスのなかで思っていたことがある。

もお一度「足摺岬」を読返ししときゃあよかった。


田宮虎彦の足摺岬。



すっかりストーリは忘れてしまった。
あれを読んだのはもう30年以上もまえ。


共感するトコもあった、二三度読返した。
けれど内容は忘れてしまっている。







暗い青春の、死についての時代と自身のはなしであったような。






そしてもひとつ映画・「南国土佐を後にして」。


映画のファーストシーン・小林旭は高知駅にたった。



では昭和34・35年当時、普通考えられる高知行きはどうたんだろう。
思うに、

東京駅から夜行列車に乗る。(必ずしも寝台車でなく、夜の列車)
大阪で乗り換え(その当時、電化は東海道線のみ)、SLにて岡山まで・または宇野まで行く。
船に乗る。
高松から土讃線にてゆられゆられ高知にたどり着く。
所要時間・ひと晩といちにち。






渡り鳥が高知に着くにはとほうもない時間、
そして体力が必要であった。
・・・そんなことを一人思ったりしていた。





つぎ・足摺岬2
















2005年5月3日