2005年3月19日
笠岡市飛島@ABC


州は今でも大潮の干潮の時は首の高さで通れる。





子供の頃は、あの上を走って渡っとった。


(笠岡市役所のホームページによる砂洲・海砂の乱獲や潮流の変化で砂が減少し普段では見られなくなったが、
大潮の干潮時には今でも約300メートルの海の道が現れる。)




それがのうなったんは「みつりょう」じゃ。
新幹線が出来るころじゃ。








沖で砂を盗られた。
あっこら辺、(すこしばかり沖を指差し)。
夜、明かりをつけた船が何船もクレーンで掘る大きな音を出して。
公認じゃ。
保安庁へ電話しても来りゃあへん。



にぎらされとったんじゃろう、仲間同士じゃ。

(新幹線工事がはじまる頃、川砂を取ることが禁止された。日本の建設業は海の砂をコンクリートに使用することに危機感を持っていた、「蜜りょう」はたしかに当然視されていた。)








ここへ来る人は海の色がきれいなゆうが、昔はもっときれいじゃった。
今でもあわびやこすぐ獲れる。




釣りの好きな人は家まで買ぅとる。
福山の人がアノ家、土日だけ住んで磯で釣ったり、船で釣ったり。
そういう人も(当然飛鳥には)いる。




その船員さんはえいちゃんに話しかけたり、幼児がいればあやし、老人がいれば抱くようにして乗降を手助けし。

船と島と人を愛するのがよく感じられた。









サイゴに、

笠岡市飛島、それは。

歴史の奈良・飛鳥(あすか)でなく、
土木の名門・飛鳥(とびしま)建設でもなく、

笠岡市飛鳥(ひしま)という。








ツイデに、
大飛鳥、というが大きな島の意味でなく。
「笠岡市飛鳥」は2島、(対岸にあるのが小飛鳥)その大きい方の島をいう。









つぎ・福山マラソン










2005年3月19日