2004年11月17日 午前8:40〜12:10ころ
玉野市宇野〜倉敷市児島味野@ABCDE
玉野市日比。
和田の交差点を過ぎて小山を走る。
ちいさなスナックが今も昔も点在する。
この道は通勤の道だった。
ここを過ぎると日比。
はやくも気持ちがそわそわしてくる。
日比の町。
精錬所のエントツは勢いよく煙が吐く、これぞ日比。
禿山だった面影はほとんどない。
P建設明神寮。
その寮は何処にあったか?
・・・わからない。
それどころかえいちゃんが立ってる場所がどこになるのか?
それほど日比は変わっていた。
「備南開発」。が見える。
「備南(ビナン)」の社長さんは巨体で豪傑だった。
いっつもジープを運転していた。
三井造船の門はスピードを落さないままフリーパス。
玉野の裏のことはすべて知り尽くしている、しかも自分が一枚からんで。
そういう人だった。
「備南」がここならこの道は、と、やっと方向感覚が目覚めてきた。
日比港。
日比港で煙草をとりだした。
そうしないと気持ちが落ち着かなかった。
日比5丁目、「ちどり旅館」。
看板はまだかかげてあった。
建物もそのままだった。
2年前の年賀状では奥様が「店を止めて海の見えるところに家を建て、主人と二人で静かに暮らしています。」とのことだった。
昨年暮れご主人から「奥様が亡くなられた。」あいさつ状がとどいた。
「ちどり旅館」は日比の遊郭のまんなかに存在していた。
はじめて廊下を歩いたときの衝撃は忘れられない。
旅館は奥様、ご主人は三井造船に勤務されていた。
子供さん二人は玉野から出ていたが年齢が僕と同じくらいだったので、僕のことを子供同然に可愛がっていただいた。
その「ちどり旅館」から二軒隣に僕は住んでいた。
Nさん宅。
Nさんの家も遊郭造りだった。
旧・日比遊郭の町は昼でも薄暗く湿気た町並みだった。
いま、こうしてお日さまの陽が当たる町に変わっている。
遊郭の家はだんだんとなくなっていた。
(P建設三井船渠工事事務所の慰安旅行)
写真中央よねちゃん。
左えいちゃん。
写真6人中、二人が物故者。
惜しんでもあまりありすぎる。
2004年11月17日