2004年9月11日 午前7:00ころ
井原市門田町 県主
笠岡市の新賀と井原市の門田町にまたがる「岡山西ゴルフクラブ」、その井原市側周辺を走っていたら田舎道から立派な道路に出た。
このあたりは標高100m以上はあるのだろうな、吉備高原や備後の山やまがなだらかに見える。
道路には↓の看板があった。
「鳥羽踊りの里県主」。
”あがたぬし”。
由緒ある地名。
地名のひびきがいい。
後鳥羽上皇(1180〜1239)、第82代天皇
在位1183〜1198年。院政1198〜1221年
1221年「北条義時を追討せよ」という院宣を発する。承久の乱。
敗退。幕府は後鳥羽天皇を廃位、同じく朝廷派の中心人物であった土御門上皇、順徳上皇をそれぞれ廃位する。
そしてその三上皇はそれぞれ、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へ、土御門上皇は土佐へと配流される。
「隠岐へ配流になった後鳥羽上皇はひたすら都を思い焦がれながら19年間生活を送られました。念仏と和歌に精進する事によって、配流生活の苦しみから脱却しようとされ、御年60歳で崩御なされました。」
そういう歴史。
史実は史実として伝説もまたあり。
(井原市のホームページによる説明)
鎌倉時代、承久の変に敗れた後鳥羽上皇が、井原市門田町の金剛福寺に逃れ、ここでなくなったと地元では伝えられている。
寺の近くに五輪の塔をたて「鳥羽の陵」と名づけ、上皇の御霊をなぐさめた供養の踊りを今日に伝えたものが、『鳥羽踊り』とされている。
ここが上皇の塚。
きれいな棚田のなかに祀られている。
朝露はきらきら。
秋の朝。
この道を走ると県道井原笠岡線に出た。
その合流地点で、この道は「井原木ノ子工業団地」への道だった。
それを知った。
2004年9月11日