2004年9月4日 午前7:30ころ
笠岡市甲弩 北川平野
条里制。
ところが各地の発掘調査の結果では、条里制遺構は鎌倉時代の初めごろにならないと現れない場合があることが分かってきた。
このように、条里制遺構の形成過程の実態についてはいまだになぞの部分が多く、そのなぞの解明は今後の調査・研究に期待されている。
条理制をとどめる田んぼが北川に残る。
阿部山と小田川にはさまれた田んぼ。
北川の田んぼは美しい。
1000年か1500年も前から整備された水田は稲がたわわ。
長い歴史の風格さえ感じる。
大小の水路は今コンクリートだが原型は当時からと同じ。
尾坂川と小田川からの取水で日照りの夏を乗り越えた完成度を感じる。
北川平野から走出方向。
北川平野から小田方向。
そして正面の小山に沿って尾坂川が流れている。
小山の左手麓には笠岡市指定文化財甲弩神社がある。
井笠鉄道の車窓からはどこまでもつづく一直線の真っ黒い電信柱が見えていた。
遠い日のえいちゃんの記憶。
えいちゃんの、
あのもう50年近い前の思い出の風景はココ北川平野に違いない。
電信柱は白くなった。コンクリートになった。
そして柱は太く高くなった。
でも電信柱は今でもまっすぐにつづいている。
2004年9月4日