2004年8月17日  午前8:00ころ
笠岡市片島


かつて笠岡湾にぽつんと浮かぶ島が二つあった。

笠岡からいちばん近い有人島、それが片島だった。




いちばん近いのは地理上でのことで。
住んでいる人にとってはそうでなかった。

いったん神島に渡船しなければならない。
そして神島からまた渡船。
そういう島だった。



「笠岡市片島」ではなくて「笠岡市神島片島」。
行政も生活も神島内のなかだった。



今は笠岡市片島なんだろうか?それとも笠岡市拓海町または笠岡市カブト南町なのかもしれない。




干拓地内には道が縦横に走る。
けれど誰も車も走らない道も多い。
この道↑もそう、道路左右から植えてもない木が迫る。
ということはこのアスファルト道路は2〜3年もすればタダの荒地になってしまうのか。




笠岡湾には片島とその手前もうひとつ島があった。
それが「猫捨て島」。

猫捨て島は無人島。暗礁の上に木が生えている、その程度の大きさだった。
正式名「木ノ子島」。海はなくなったが原型をそのまま残す。







片島には30軒程度の民家があり西側が下浦、東側が上浦と呼ばれている。
それらの民家は神島側がほとんどだが、笠岡側を向いている民家もあった。(今日知りました)↓。




片島から見る神島・栂の丸。



片島から見る神島三崎と海。


片島から見る金浦方向。



片島下浦。


片島から見るJFE西日本製鉄所。




笠岡べいふぁーむマラソンの道。
5キロ、10キロ。
ともにこの道を走る。
この道がかつては渚。
民家の石垣には波が打ち寄せていた。











片島に残る波止。
ここしか残っていない。

ちいさな波止。
この程度の波止なら漁船も繋げない。

そして道。
片島の波止場に行くには自転車すら通らない。
人が歩くだけの狭い道しかなかった。それは容易に推測される。






走る道に記念碑があった。
既に雑木になかば覆われていたが「片島海水浴場」の記念碑だった。
たしかに・・・・・。
片島海水浴場は聞いたことがある、もちろん行ったことはないけど。


笠岡湾干拓にともない廃止する、と昭和46年の碑だった。





つぎ・旧国道2号線笠岡〜金光










2004年8月17日