2004年6月15日 午前6:10ころ
笠岡市東大戸・井原市岩倉町 蛸村峠
山道の向こうには何があるのだろう?
そう思いながら知らない大戸の坂道を前に前に進んでいった。
(井原市に近い東大戸から新賀方向)
いつもそうなんだけど朝の空気はいいわい。
朝日が昇ったすぐあと、その空も山も田園の景色もみないいわい。
軽トラを田舎道においてゲシを刈る人。
これも朝らしくてええわい。
大戸といえば「ベントナイト」。
特殊粘土。
「千の用途を持つ」といわれる土。
井原市に近い大戸に工場が数社。
そして道は井原市になった。
(井原市岩倉町から井原方向)
「蛸村」または「蛸村峠」。
井原市と笠岡市の市境。
峠の頂上に黄色いクレーンを持った工場がある。
戦後すぐのころ。
物資はなく、塩もない生活の時。
井原の人は大磯の海まで行き、そこで樽に潮水をいれて車を引いて帰っていた。
蛸村峠まで帰りほっとひと休憩。
見れば樽の潮水は半分以上こぼれていた。(当時の樽は木と竹で作られている)
そういう逸話が笠岡市史戦後編に載っている。
峠の頂上ではたこ焼き屋なども以前あり、車で休憩したり、ここで落ち合う営業マンなどもいたけど。
今、たこ焼き屋はない。
その近く「西備擁護学校」
学校の敷地は広く山の中には池や小鳥の飼育所も学校の施設としてある。
2004年6月16日