2004年5月3日  午前8:30〜10:00
笠岡市高島 



「瀬戸内海」、その景観をはじめて意識したのは24・5歳の時だった。




自宅から歩けば200mで海。
あまりにありふれた日常光景であった。それは、えいちゃんに限らず沿岸育ちの人は皆同じ思いであったろう。
こんな平凡な風景がどうして「国立公園」なのかと。



盆か正月かは忘れたが鹿児島から帰省するえいちゃんが関門海峡を抜け出て、下関の海がひろがった時。
その時、これはすばらしい海だ、そう思った、意識した。
望郷の思いだけではなかった。
波ひとつない海に小船で漁をする、この風景と光景はこれはすばらしい。




・・・そのころは。
えいちゃんが意識した時は。

じつは・・瀬戸内海の本土沿岸がモーレツな勢いで失われていた。
人口の海となり、企業の岸壁へとなり。人と海が隔てられたいた。


じつはじつは・・・・えいちゃんの勤務先は「海を無くする」企業だった。
「海を埋立て国土面積をひろげる」、その企業へ勤務jしていた。



瀬戸内海の海はほぼ人を隔離してしまった。

どこにでもあった磯と白砂は、島にいかないと見れない、はいることもできない。







遊歩道を歩くと石段になった。





かつて神武天皇がたちよった「高島」。
そういうおそれおほい伝説の聖地でもある。
ここの展望台の見晴らしはほぼ360度。








歩道はほぼ完璧に整地されている。
平地はない、山道のみ。








古代遺跡への道をあるいていくと巨大な石があった。
説明看板がないのでそのいわれは不明。
だが遺跡からも瀬戸の小島が美しい。






船中で話すご婦人がいた。
「以前すすめられ島を一周したら、距離があり腰を痛めました。」そういう会話をしていた。


えいちゃんが一周してみて思うのは、そういう場合もあろうけども。
もしこの島に泊まりできたならこの散策道をあるくべき。
道の状態がいいのと、景色がいいのと、なにより腹が減って魚がうまかろう。







竹が浜。
夏、海水浴場。

浜では投げ釣り。






ペンション村。
高島は村でなく島なんで、「ペンション島」。

備中・備後地方では多分最大。
ペンション主人が持ち舟で漁をする、それを食卓にするのが人気。












「高島さかなまつり」。
GWの恒例行事。

当日の臨時船もあり波止からたくさんの人がぞくぞく。



さかなのつかみ取り。
えいちゃんもね、泳ぐ魚を手で捕ったことはない。いたしいだろうな。手をケガしないかな。




「安ぅないんじゃ。」
さかな祭りにきた人が言っている。
では何故きたのか?、それは活きがいいから。
たしかに安いと思える魚はなかった。




今日の新聞に記事が載っていた、今年で最後だそうだ。

年々捕れる魚が減っている。
年々売れば赤字。

だもんで今年でおしまい。そういう記事。



おいおい、これは「お祭り」。
魚が減っているのは、お祭りが始まった時にわかっていること。
「赤字」なんて、祭りに赤字もへちまもなかろう。


ったく、読者を馬鹿にした記事を書くな。って。





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2004/05/04