2004年4月10日 午前9:00ころ
笠岡市甲弩 神護寺
ときは「天正」時代、といえば。
織田信長が「本能寺の変」で倒れたのが天正10年の梅雨時。
それから5年後の天正15年、この神護寺の本堂は建てられた。
笠岡市に残る最古の建造物があるお寺、神護寺。
今日はほんとは矢掛町にある桜の名所・嵐山公園に向かって走っていた。
持ち物は100円だまが5つ。
帰り道のスタミナも考え、無念。川面のセブンイレブン、ゼリーのワィダー買って飲んでそこでUターン。
嵐山がだめなら甲弩の神護寺だな、そうきめて甲弩へ走る。
市街地からちょっと離れれば何処の土地へ行ってものどか。
桜を見ようと走っているへりには早くも桃の花が満開。
日本の春。
田舎の春。
(矢掛町中川地区よりみる甲弩方面)
阿部山系の麓に沿って走る。
この道は「矢掛」「笠岡」の境が不明なのが難。
うっかり神護寺をとりこしてはおえん。
道沿いに庭をみているおじさんに聞く。
「あっこの橋、あれを左に曲がればすぐ。」
「大井ハイランドから走ってこられたんか、あそこからならニ里半くれいはあるかのう?」
おじさんは距離をなつかしい表現で言った。
その橋はすぐ近くにあった。
↓の写真のように標識もありお堂がある。お堂には石像が3体くらい、それに時計つきだった。8:25分。
お堂をゆるやかに上がると正面に神護寺。その道沿いには桃の花が満開。チューリップも咲き始め。
お寺は下新しい建物、上に歴史ものの建物。
その間に見ごたえがある庭園がある。そしてお墓も正面左手が古く、右手があたらしい墓地となっている。
北側を見れば矢掛町小田、そしてその背後のやま山がきれいに見えた。
はらはらはら。
ひらひらひら。
風はまったくないが桜が散っている。
花びらは色をとどめて庭に散乱。
この左の堂が笠岡いち古い建造物。
屋根の重みにかろうじて耐えている感じ。
その屋根の梁は瓦の重みを必死にささえる。
そういう悲壮感すら漂わせる風格がただよう。
お地蔵さんの顔はほんとにおだやか。
どうしてこうまで仏のお顔は平和な顔をしているのだろう。
苦痛なまでのキリストの顔と比べてしまう。
2004年4月10日