2004年1月5日 ・午前10:30〜11:20ころ
岡山市城下(しろした)界隈  岡山城〜内山下(うちさんげ)


城下交差点からどちらの方向へ歩くかな?
脚は自然、岡山城・後楽園方向へ。


この旭川の道はきれいに整備されていた。
以前も落ち着く感じの道だったが、今はそれ以上。
というのは歩きたくなる道、歩いて楽しい道、そういう雰囲気の道に整備されている。




岡山城天守閣の石垣。

いちばん身近な福山城の石垣とは対極している。

城郭建築工事が爛熟完成期に造られた福山城。日本人が描く「お城」のイメージに最も近い。

かたや岡山城天守閣のこの石垣。
野面積の荒々しい原始的な石垣のうえに天守閣が乗っている。





お城のテニスコートでは高校生がテニスをしていた。
ここには終戦まで岡山1中(現在の朝日高校)があった。


向こうには中銀本店・岡山クレド・シンフォニービルなどが見える。









備前岡山31万石・池田氏の居城。


だが築城は五大老の城だった。
徳川・前田など天下の五大老・宇喜田家の城。

築城まもなく関が原、負けた宇喜田秀家は八丈島に住むこと50年、80何歳で死んだ。




岡山城を見て歩く。
といえば・・・これでおしまい。

旭川から天守閣などを見て歩いておしまい、時間のある人は後楽園を散歩する。それが一般的。






それでは惜しい。
岡山城の見て歩きはまだまだある、これが面白い。




岡山の街の中に岡山城はどっこい残っている。









岡山市立内山下小学校。
城下交差点からすぐ。
この小学校の一面は二の丸の石垣で覆われている。





市民会館・山陽放送・NHK、そこも岡山城石垣のうえにある。




石山門。
山陽放送から城下通へ行く道、そこには石山門の石垣が残っている。
案内板には「岡山空襲で焼けるまで国宝だった。」とある。






西の丸西手櫓。
市街地の中にぽつんと残された櫓も珍しい。
この櫓はビルに隠れている、歩いてもこれ以上近づけない。
かつて30以上あった岡山城の櫓のひとつ、本丸にある月見櫓と並び唯一残されている江戸期からのもの。




こうして街中にところどころ独立して残るお城をみていると。
今、路面電車が走る城下通、そして柳川筋、そこがかつての岡山城の内堀だったことがなんとなく時代を思い起こす。





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2004年1月5日