2003年10月13日  午前8時10分ころ
笠岡市神島・横島 神島大橋


神島大橋、これができたのは昭和45年3月31日。


当時、武徳さんが岡山県知事をしていた。
それで開通式は武徳さんと県議会議長と市長と地元民。それが橋のうえを歩いた。

県議会議長が主役だった。この島の内浦出身伊藤大考県議が議長をしていた






今日は干拓地から橋に上る。



橋から下りて神島の旧渡船場へ行く。そこから横島を見る。
潮の流れが漣になっている。




左より第一病院旧館と新館とカブトガニ博物館。
旧館は今老人ホーム、新館が病院。一度、病院に見舞いにいったことがあるが建物は海側を向きどの窓からも景色がすごくいい。









橋に上り、橋のうえから神島と横島の渡船場を見る。


神島↑、横島↓。






瀬戸の距離は100m〜150mくらい。
呉の音頭の瀬戸と同じくらい。音頭の瀬戸ほどは船は通らないが、それでも連絡船・高速船・フェリー・釣り船がひっきりなしにとおる。













橋は発注岡山県、施工は「アイザワ工業」。
父・逢沢寛のあとを息子英雄が初出馬
初出馬にあわせて「中国土木」から「アイザワ工業」に社名変更。
選挙期間中はNHK以外のTVは”アイザワ、アイザワ”の連呼。
あまりに露骨に、しかも派手にしたため選挙にはたしか落選した。
今はその息子、逢沢一郎が衆議院議員をしている。








橋がないとき、えいちゃんの高校の同級生は。

内浦の人はみんな渡船場を渡り自転車通学をしていた。
外浦の人は女子、連絡船で北木の人たちといっしょの船で通学していた。男子は自転車の人もいた。














「神島大橋」は神島の住民のために本土を結ぶ。

それだけでなく金門橋のように観光名所にもなるし、神島を訪れる人も増える。架橋はそういう可能性がどこの島にもある。
数ある架橋の島で神島が決定的に違うところがある。

神島は本土になった。
橋ができて5年ほどして陸続きになった。




つぎ・笠岡魚市場













2003年10月14日