2003年10月5日 午前7時20分ころ
笠岡市住吉 笠岡港


笠岡港桟橋。
この桟橋はかわらない、ちっとも。




できたのが昭和30年過ぎ。それから今までほとんど変化がない。




ついでに言えば「のりば」の建物。これも変わらない。



「のりば」の隣には島の案内看板がある。これも変わらない。


変わったのは船。
ぽんぽん船しかなかったが、島への高速艇や福祉の「夢ウエル丸」。


以前は鞆、尾道への定期航路もあった。

四国多度津との往復はいつの間にか廃止され北木・真鍋止まり。四国へは笠岡から行けなくなっている。



笠岡は港町兼門前町として栄えた。
今、門前町の面影はほとんどない。
港は笠岡湾が消滅し、島が過疎化している。

笠岡最大の企業は神島にある「神島化学」だった。
北木島は石産業が盛んで。

本土よりも島のほうがにぎわう時代があった。






日曜日の今朝は釣り人らしき人がとぼとぼ。それだけ。






貨物の荷揚げ場があた港。ここは駅からもみえていた。クレーンが2機ほどあった。
いつも石炭か木炭かセメントかしらないがクレーンが荷を音をたてて下ろしていた。

郷土資料館にあるまあるい「力石」、あれをこの波止場で競争していたのだろう。


みなとのガンキは今も潮をかぶっている。





つぎ・茂平八幡様祭












2003年10月5日