2003年12月27日 午前7時40分ころ
里庄町浜中 仁科芳雄博士生家



国道2号線を東に走り今立川を渡ると笠岡市からと里庄町になる。
なるけれど、このあたりは里庄か笠岡かよくわからないほどいりくんでいる。
そこが浜中。



里庄町は里見と新庄と浜中の3つの地区でできている。
町名は里見と新庄から一文字づつ、この浜中は無視。
浜中は笠岡に一番近く博士の生家からは応神山も近く見える。↓。




博士の生家から南方面を見れば大島の山。
そして付近には畑と田んぼがあり、のんびりした光景。↓






仁科博士は里庄町が生んだ最も偉大な人。
えいちゃんも中学生のころ博士の名とことを知った。

博士はえいちゃんが赤ん坊のころ60歳で亡くなっている。
最初の日本文化勲章受賞者。



博士の生家は代官を務めていたと書かれてあったが庄屋造りの家屋敷で立派。
でも里庄に代官様がいたのだろうか?どうもへん。


この生家は普段門から中にはいれるけど今日からは正月休みで閉じたまま。
もっともこの朝のじゃいつも閉まっているけど。






ノーベル賞の湯川秀樹博士が仁科博士の弟子だったことは有名。
そのづっと後で朝永振一郎博士も受賞し二人のノーベル賞者を指導したことになる。



「日本の原子力の父」である博士は「終戦の功労者」でもある。
広島を見て原爆と判断し、終戦を進言して大戦は終わった。

生家の前の説明文に書いてあった。とにかく偉大な人なのである。


つぎ・矢掛脇本陣







2003年12月27日