2024年5月3日   金曜日    備中町    吹屋    太鼓田植え    二本松 
高梁市成羽町吹屋  「吹屋ふるさと村」     9:00頃   9:44~10:29    12:08~13:54     14:20頃


坂本から吹屋に行く。

「千枚駐車場」は満車、広い方の「下町駐車場」に停めた。










これより”重伝建”吹屋を散策する。












吹屋の町並の由来


標高五百米の山嶺に、塗込造りベンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは、
江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、
当時の鉱業地として大いに繁昌した面影である。

幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていた。
しかも吹屋街道を拠点として、銅や
中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、
備中北部から荷駄の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の建ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていた。

これらの銅や鉄、弁柄は吹屋から更に馬に負わされて成羽に運ばれ、
それから高瀬舟で玉島港に集められ、玉島港から上方や西国へ輸送されたのである。
江戸時代から成羽や玉島の繁昌は、吹屋の鉱工業に負うところが大きかったと言われています。


(下町駐車場にある説明板)











下町から中町へ。











吹屋よいとこ 金吹く音が
聞こえますぞえ 窓坂え


吹屋よいとこ 金堀るところ
掘れば掘るほど金が出る


場所じゃ場所じゃ 吹屋は場所じゃ
東城やせ馬 来る場所じゃ



これらの俗謡は、当時の状況を歌ったものである。

ベンガラ(酸化鉄)
緑磐(硫鉄)を原料とし精製した赤色顔料で、古くから、九谷焼、伊万里、京焼などの陶磁器の赤絵、能登、輪島などの漆器、衣料の染色、
家屋、船舶の塗料など色々な方面に使われた。

吹屋銅山
今から千余年前、平安時代に発見され徳川時代は、直轄地(天領)となり代官の支配下で全国の銅山師が請負って経営した。
そのうち住友 (泉屋)、大塚(福岡屋)、明治になり岩崎 (三菱)の経営の三期が、ピークで町も大いに栄えた。


(下町駐車場にある説明板)














郵便局の前、ここで右折て旧吹屋小学校へ。











小学校への坂道から町並みと甍が見える。

それに加えて今日は、新緑と青空が美しい。






切通しの向こうに吹屋小学校が見える。













校庭だったところにプールのようなものが出来ていた。









着くと、ちょうど午前10時になった、

玄関前のロープが取られ、本日の公開が始まった。








見物しようと思ったが、よく見たら”有料”だった。入場料500円。


えいちゃんは、小学校・中学校・高校とも木造校舎だった。

お金を払ってまで、木造校舎を見ようとはおもわない。







再び、吹屋町並みに戻った。








「長尾家」、馬を繋ぐ金具が付いている。









「郷土館」には映画ポスターが立っている。








そうだ、V6の岡田准一が主演「燃えよ剣」に吹屋が出た。

映画を見ていて、吹屋がでるのでびっくりした。

(吉備津神社が出るのは知っていたので驚かなかった)








”重文”の片山家住宅。








千枚、ここらで吹屋町並みはおしまい。












吹屋の町並み、季節の花も期待していたが発見できなかった。



これは吹屋と坂本の途中で、民家の花。奇麗な花だが名前はわからない。









哲多町の鯉のぼり
    「哲西の太鼓田植」を観に行く



2024年5月5日