2024年4月28日     日曜日    芳井町    里庄町       
浅口郡里庄町里見・里庄町立図書館             10:00 〜10:49   12:40〜15:30       
           第126回 里庄歴史勉強会  〜菊桜と佐藤清明〜    



里庄町図書館の二階視聴覚室で【菊桜と佐藤清明】の講演会があった。



主催者は「里庄歴史勉強会」で、普段調べたり勉強したことを図書館の二階で発表している。

えいちゃんも過去数回出席していて、同会の研鑽には、その度に感動感心や敬意や刺激を受けている。




里庄歴史資料館で満開の「菊桜」を観賞してから図書館に行った。









当日の配布資料

佐藤清明と菊桜(その1)


1907年、旧制第六高等学校の大渡忠太郎教授は、 校庭に植えられていた珍しい桜を
東京帝国大学で桜の研究をしていた三好学博士に送ります。
そして、 1916年、 三好博士は '菊桜と命名し、 発表しました。
この '菊桜' は1931年、 三好博士によって皇 室に献上されています。
その後、全国で兼六園菊桜や梅護寺数珠掛桜などが命名され、現在では30種類ほどの菊桜が栽培品種名として記載されています。

岡山県浅口郡里庄村出身の博物学者、佐藤清明 (1905〜1998年)は
1923年、旧制金光中学校卒業後、六高生物学教室の助手となり、
菊桜の価値や魅力について、大渡教授から話を聞いていたことは想像に難くありません。
”菊桜' の原木は永く六高で育成されていましたが、残念ながら1945年6月29日の岡山空襲で焼失しました。
しかし、清明はその前年の1944年、戦禍から守ろうと‘菊桜”の疎開を思い立ち、
一枝を郷里である里庄町の生家に接ぎ木していました。
六高ゆかりの‘菊桜 (別称は六高菊桜) はその生命をつないだのです。





(当日の配布資料)



当日の配布資料


佐藤清明と菊桜(その2)


生物学者でもある昭和天皇は美しい桜をお気に召し、1931年、順宮厚子内親王が誕生されると
菊桜を内親王のお印(御紋章) に選定されました。
1952年、厚子内親王は岡山の池田家に降嫁されます。
その翌年 の1953年、清明は'菊桜”の苗木を持参し、厚子さんの新居の前庭に移植しました。
また、 同年の秋、昭和天皇が記念植樹として岡山後楽園にお手植えになりました。
この式典に清明は立ち会っています。

昭和という激動の時代を歩む中で、清明にとって'菊桜”は花の魅力とともに、 生涯心に残る桜となりました。
そして、 2024年岡山県で開催される 「第74回全国植樹祭」で
皇后陛下がお手植えなさる樹種3種の1つに菊桜が選ばれました。





当日は受講者の定員(30名)を上まわる出席者があり、たいへん盛況の講習会だった。





時ノ坊池のツツジ



2024年5月7日