2023年12月20日  水曜日   8:59〜9:55
福山市新市町相方・新市工業団地    


草が無い時の相方城(さがたじょう)跡へ行こうと思っていた。


駐車場には”猫地蔵”が出来ていた。











山道を登って行く。










石垣が見えてきました。








着きました、”相方城跡”。






広島県史跡 相方城跡 (さがたじょうあと)

標高191mの通称「城山」の山頂を中心にして、東西約1000m、南北約500mの範囲に城郭遺構が分布する大規模な山城である。
芦田川を挟んで正面に見える亀寿山城 (標高139m)を本拠地として備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、
相方城より南の地域を本拠地としていた宮氏一族などにより16世紀前半には、中世山城として整備されていた。
天文21(1552)年に宮氏が滅んだ後は、有地一族が出雲国や備後国北部などに給地替えされるまで、 相方城を拠点に当地を支配していた。
その後は、毛利氏の直轄城となり、東方備えを目的とした近世城郭として整備され、
関ケ原の戦い (1600年) による毛利氏の撤退によって相方城は廃城となった。

1995年1月23日広島県史跡指定
広島県教育委員会・福山市教育委員会












東郭に行きます。

東と西は竪堀(たてぼり)で分かれている。写真を拡大するとホラ!




こんな竪堀。170m下の芦田川まで一直線にスベリ落ちそうだ。









石垣は









新市町観光協会Web

相方城(佐賀田城)

新市駅から南を見ると目の前に、山頂が削平され整形されたた山が見えます。
それが相方城なのです。
山頂まで車で上がれますが、産業団地の先にある古墳や神社から先は、離合できないため徒歩で登城することをお勧めします。

相方城の築城について詳しい資料が残っていないものの、宮氏もしくは宮氏の庶家のひとつであり、宮氏と対立していた有地氏の築城と考えられています。
その中でも、有地元盛の築城との説が有力となっています。

新市の市街地から見ると断崖絶壁とも言える急峻な山肌が比高170mの高さまでそびえています。
宮氏本家が尼子氏と友好関係にあり、尼子方として大内氏方と戦った際に、有地氏は大内方として毛利氏らと共に亀寿山城を攻めています。

宮氏本家が力を失った後は、毛利氏の直轄領となりました。
それに伴い、主要部分が総石垣となり、瓦葺きの櫓を幾つも有した近世山城として改修されたものと考えられています。
打ち込み接ぎで築かれた石垣も、
場所により精度や積み方が若干異なっているため、
石垣の構築には長い期間が費やされたものと考えられます。

1600年の関ケ原の戦いで、毛利氏が敗れ相方城も破却される事となり、
建物遺構のうち城門2門と櫓1棟が、素戔嗚神社に移築されています。








打ち込み接ぎの石垣。












石垣から、新市の市街地を見る。














福塩線の「新市駅」に下りの電車が入る。(左が上り・右が下り)













南側、芦田町を見る。










一番高い本丸に立つ。

府中方面。




駅家方面。







新市。





府中。



















じつは展望はもっと素晴らしいのだが、

なにせ極度の高所恐怖症。


大幅に曲輪の安全地にしか立つことが出来ない。










次は桜の季節に来よう。

桜とお城はl組み合わせがいいからなあ。








後池第17号古墳



2023年12月29日