2022年7月9日 土曜日 山梨県甲府市古府中町 武田神社・武田氏館跡 | |||||||||||
笠岡 | 静岡 | 甲府 | 新宿 | 神田(泊) | |||||||
5:46 | 9:37・9:45 | 12:05〜16:31 | 18:04(泊) | 18:32 | |||||||
乗り合いバスに乗って「武田神社」に向かう。
写真、道路の左右とも「山梨大学」。
駅から神社までは一直線。
甲府駅北口から30分毎に武田神社行きのバス便がある。復路も同じ。
乗車時間は10分弱。
終点「武田神社」に着いた。
なおICOCAが使用できる。
赤い橋から神社は始まる。
武田神社は比較的新しい神社で、
大正時代に「武田信玄公」を神として創建された。
神社は、信玄公ゆかりの「武田氏館跡」地に建てられた。
赤い「神橋」をわたると「参道」。
拝殿。
武田神社は武田氏館。また躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)とも呼ばれる。
躑躅ヶ崎館
「日本名城100選」 鳥羽正雄 秋田書店 昭和44年発行
甲府市の郊外に標高800mの要害山城がある。
ここに城を築いたのは武田信玄の父信虎である。
信虎は永正16年(1519)新たに躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を築き、
信虎、信玄、勝頼三代の居城であった。
この館は平地に一重の堀をめぐらして、その土をもって土塁としたものを思われる。
東西約220m、東北135mである。
この館は一見、非常に狭く、設備などもきわめて簡単であったが、
信玄はここを「人は城なり」の本拠とした。
「風林火山」の旗印を立てて兵をくりだし、向かうところ敵なし、
また、堅固の城として、一歩も敵を近づけなかった。
(100名城スタンプ)
甲府市教育委員会リーフレット
国史跡 武田氏館跡
武田氏館跡は、武田信虎・晴信(信玄)・勝頼が居住し政治を行った戦国大名武田氏の館跡です。
武田氏滅亡後も甲府城が築城されるまでの間、
甲斐国政治の中心として再利用されました。
館跡の随所にはは土塁や堀・枡形虎口・馬出・石積みなど、遺構が当時のまま残っています。
戦国大名の居館の構造を今日に伝える重要な文化財として昭和13年に国の史跡に指定されました。
戦国時代の城郭としては、珍しく平城。
そのことよりも、
「人は石垣 人は城」といいながら、ちゃんと水堀も石垣もある。言行が一致していない。
まあ、それとなく戦国時代の英雄・武田信玄公を偲ぶには、いい感じで神社も周辺の環境も守られ、保たれてもいた。
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5:46 | 6:29・6:42 | のぞみ | 8:19・8:43 | ひかり | 9:37・9:45 | ふじかわ | 12:05〜16:31 | あずさ | 18:04 | 18:32 | ||||||
2022年7月20日