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2022年7月9日 土曜日 見延線・特急「ふじかわ」 静岡県静岡駅〜富士駅〜山梨県甲府駅 | ||||||||||
| 笠岡 | 静岡 | 甲府 | 新宿 | 神田(泊) | |||||||
| 5:46 | 9:37・9:45 | 12:05〜16:31 | 18:04・ | 18:32 | |||||||
身延線で甲府へ行く。
静岡駅の特急「ふじかわ」。
この電車に乗る。

この列車の特徴は、
3両編成であること。
全席指定席であること。(乗車後に車内購入可能)
静岡〜富士間(東海道本線)は全席が進行方向後ろ向き。富士駅から前向きになる。(高山鉄道のスイッチバックの感じ)
全線、ほぼ富士川に沿って走る。

つまり、
甲府に向かって進行中に富士山を間近に、かつ雄大に見ることができる路線。
興津川をわたる。

東海道53次の宿場町「由比」駅ふきん。

富士川をわたる。

「平家物語」 瀬戸内晴美 世界文化社 1976年発行
富士川
さて、いよいよ明日は源平富士川で矢合せと決定した。
その夜の夜半ばかりのことであった。
富士の沼に無数に泳いでいた水鳥が、何に驚いたか、一度にぱっと飛び立った。
その羽音が、大風か雷のように聞えた。
平家の軍兵たちは、
「それ、源氏の大軍が押し寄せてきたわ。
ここは退いて尾張川墨股を防ごう」
と、取る物も取りあえず、我先にと逃げ落ちていった。
あまりにあわて騒いで、
弓持つ者は矢を忘れ、矢を持つ者は弓を忘れ、人の馬に自分が乗り、
わが馬には人に乗られる。
あるいは杭につないだ馬にとび乗り、杭のまわりばかり回っている者もある。
近在の宿場宿場から呼び集めていた遊女たちは、この騒ぎで、
頭を蹴割られたり、わめき叫ぶ者が少なくなかった。
あくる日二十四日の午前六時頃、
源氏の軍勢二十万騎が富士川に押し寄せて、大地もゆらぐばかりに、鬨の声を三度あげた。
平家方は音もしない。
兵をやってみると、
「敵の陣には蠅さえとんでおりません。」
という。
遊女たちは、
「ほんとに呆れかえってしまうよ。」
と嘲笑しあった。
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富士駅に着いた。
ここからは、(乗り換えはないが)身延線となる。車窓風景も前向きになる。

”日本一”の富士山、
残念ながら大きな雲に隠れている。

「富士宮駅」

富士川。

「山梨県の歴史」 磯貝・飯田共著 山川出版社 昭和48年発行
富士川水運
富士川水運は、徳川家康の命により、慶長12年(1607)から5年がかりで、
角倉了以の富士川開削によって開かれた。
富士川は急流で、多くの難所がある。
岩石の多い急流に用いられるため、船は底が平板で”笹舟”あるいは”高瀬舟”といわれた。
鰍沢・青柳・黒沢は三河岸とよばれ、舟運の起点で、
なかでも鰍沢は舟運の中心であるとともに、駿州往還の宿場にあたり、口留番所をおき、要衝として、この地方第一のにぎわいをみせた。
三河岸から上流への舟を”近番舟”とよび集められた荷は、三河岸で積み移され、
駿州岩瀬まで一息にこぎ下るのである。
三河岸には年貢米を積み込む倉庫が設けられて、常に番船をおき、岩淵へ運送した。
1艘に米32俵が積まれ、岩淵からは蒲原の浜まで陸付け、蒲原から清水港まで小廻しし、清水港から江戸浅草蔵前へ大廻しとなるのである。
川の上り荷は塩荷が中心で”廻塩”とよばれた。
国の需要の他に信州へ送られた。
諦めてはいるが、目はいつも富士山方面。


富士川は次第に砂から岩が目立ってくる。


路線名になっている「みのぶ」駅。

「中部横断自動車道」。

富士宮〜甲府間で、もっとも乗り降りする人が多かった「下部温泉」駅。

「甲斐岩間駅」、
身延線特急列車は、特急とはいいながら、停車駅が多い。”準急”といった感じで、次々に停まる。
そして、発車した都度、車掌さんが切符の確認にやってくる。

甲府盆地になった。
甲斐住吉駅〜南甲府駅間。

電車から降り、初めて甲府駅に立った。

鉄道を挟んで、ホームから甲府城が見える。(鉄道・南側の甲府城)

(鉄道・北側の甲府城)

ホームから見える「甲州夢小路」の櫓。

身延線の線路。

中央線の線路には「あずさ」(または「かいじ」)。

| 笠岡 | 岡山 | 名古屋 | 静岡 | |
甲府 | 新宿 | 神田 | |||||||||
| 5:46 | 6:29・6:42 | のぞみ | 8:19・8:43 | ひかり | 9:37・9:45 | ふじかわ | 12:05〜16:31 | あずさ | 18:04 | 18:32 | ||||||
2022年7月15日