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2022年7月13日 水曜日 東京都足立区〜荒川区 千住大橋 | |||||||||||||
| 飯田橋 | 川越 | 千住 | 深川 | 東京駅 | 笠岡駅 | |||||||||
| 6:04発 | 7:26〜9:24 | 11:28〜12:10 | 12:44〜13:40 | 14:51 | 19:25着 | |||||||||
山手線日暮里駅で京成電鉄に乗り換え、「千住大橋駅」に着いた。

千住大橋駅から千住大橋に向かう。

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「街道をゆく・本所深川」 司馬遼太郎 朝日新聞社 1992年発行

千住大橋
千住大橋がみえてきた。
隅田川がまがっている両岸の低地を千住という。
江戸から奥州(あるいは日光や水戸)へゆく最初の宿があったところである。
江戸時代、幕府は隅田川に五橋を架けた。
千住大橋、吾妻橋、両国橋、新大橋、永代橋。
千住大橋は江戸時代を通じ、幾度か架け替えられたが、洪水で流出すということは一度もなかったといわれる。
家康が架けた千住大橋は、架けられてから二百七十四年後の慶応四年四月十一日、
最期の将軍慶喜がこの橋をわたって退隠の地である水戸にむかったとき、江戸がおわった。
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前に千住大橋が見えてきた。

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千住大橋

千住大橋の袂に着けば、さすがに歴史的な橋にふさわいく、多くの案内や説明板や記念碑などが建っていた。
「奥の細道 矢立初めの地」石碑。

葛飾北斎「富岳三十六景」。

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橋の下へ降りる。
コンクリート壁に、蕪村の絵と「おくのほそ道」。


千住と千住大橋の由来、等の説明。

十二代将軍が鹿狩りで千住大橋に御成り船で到着した絵。

仙台藩が参勤交代で千住に泊まった絵。

その他、いろいろな碑や絵や案内板、
ここ「千住大橋」がいかに重要な宿場であり、川であり、橋であるかがよくわかる。

そういう場所だから屋形船もある。釣り船もある。

橋の下は遊歩道が整備されている。
小雨のせいか、誰一人歩く人は見なかった。

(大雨のせいで濁った隅田川)

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「奥の細道を旅する」 日本交通公社 JTB 1996年発行
千住
千住は古く千寿と書き、中世から奥州への道筋になっていた。
徳川家康は江戸へ入国したのち、すぐにここに架橋を命じた、文禄3年(1594)には早くも千住大橋が完成している。
そして日光道中第一の宿駅、江戸四宿の一つとして栄えた。
今も千住1丁目から五丁目まで、わずかながら街道筋の面影を残している。
芭蕉は、元禄2年(1689)の3月27日(5月16日)に深川から舟に乗り、
小名木川から隅田川へと入って千住に上陸した。
深川からは約10キロである。
ここで見送りの人々と別れを惜しみ、遥かなみちのくへの期待と不安を抱いて、
旅路の第一歩を踏み出したのである。
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千住A南千住駅へ
2022年7月19日