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勝ってくるぞと勇ましく,ない国境の別れ
父は兵隊の時、岡山から東京の陸軍病院に送
られ大手術をした。
その時、近所の人たちが毎晩八幡様におこも
りして手術の成功と無事を祈っていたそうだ
。
そのおかげもあり手術は成功したが、「45
才位までしか生きられない」と権威ある軍医
様から宣告された。
そして2年後、除隊中の父に召集令状が来た
。
この時は半年で除隊。
そのまた1年後三度目の赤紙が届いた。この
時は結婚して子供がいた。
その時代、どこの村でも町でもあるように、
『死に行く兵』は村の境で盛大な見送りを受
けた。
野々浜との村境で、父は”万歳ばんざいバン
ザイ”と見送られ、お礼の挨拶では、「勝っ
てくるぞ」と勇ましく言わず、ただ丁重に返
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礼の挨拶をしたと想像している。
そして1年後戦争は終わった。
岡山の兵舎で終戦を聞いた父は、踊りたくな
る気分だったに違いない。昭和20年8月1
5日、母のお腹には二人目の子がいた。
父が三度の送別を受けた用之江の村境には、
県境の石碑が建っている。
その場所に行く度に父を思い出す。
そこへ立つ度に軍服姿の父を想う。
戦後父は「45才で死ぬ」ことなく、95才
で亡くなった。
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30*40*3.5枚=4.000文字
米騒動、西本町の「篠井米店」
富山県の漁師町で起こった「米騒動」は、たちまちのうちに全国に、そして笠岡にも波及した。
大正7年8月お盆の前、仁王堂の遍照寺に数百人が集まり、気勢をあげて米穀商へ向かった。
米の値下げを求める人、野次馬や見物人が、西本町の篠井米店を取り囲んだ。
笠岡の米騒動は2〜3日で収束し、戎座(のちの大和座)の公演も再開され、地区の盆踊りも平穏に行われたそうだ。
その篠井米店を訪ねてみた。
笠岡の港から近く、西本町商店街に面した篠井米店は、分厚そうな土壁の土蔵が長く路地に面していた。
しかし既に米穀商でも商人でもなく、重厚感たっぷりに建物が現存しているという印象だった。
それから一年後、再び篠井米店を訪ねた。
すると建物は無くなっていた、その地にはNPO法人の建物と駐車場になっていた。
娯楽の殿堂とも言えた戎座(大和座)も無くなって久しい。
「大正は遠くなりにけり」と思うしかなかった。
勝ってくるぞと勇ましく・・・ない国境の別れ
父は兵隊の時、岡山から東京の陸軍病院に送られ大手術をした。
その時、近所の人たちが毎晩八幡様におこもりして手術の成功と無事を祈っていたそうだ。
そのおかげもあり手術は成功したが、「45才位までしか生きられない」と権威ある軍医様から宣告された。
そして2年後、除隊中の父に召集令状が来た。この時は半年で除隊。
そのまた1年後三度目の赤紙が届いた。この時は結婚して子供がいた。
その時代、どこの村でも町でもあるように、『死に行く兵』は村の境で盛大な見送りを受けた。
野々浜との村境で、父は”万歳ばんざいバンザイ”と見送られ、
お礼の挨拶では、「勝ってくるぞ」と勇ましく言わず、ただ丁重に返礼の挨拶をしたと想像している。
そして1年後戦争は終わった。
岡山の兵舎で終戦を聞いた父は、踊りたくなる気分だったに違いない。昭和20年8月15日、母のお腹には二人目の子がいた。
父が三度の送別を受けた用之江の村境には、県境の石碑が建っている。
その場所に行く度に父を思い出す。
そこへ立つ度に軍服姿の父を想う。
戦後父は「45才で死ぬ」ことなく、95才で亡くなった。
汽笛一斉新橋を出て、汽車は笠岡駅まで着いた
平成30年7月、笠岡駅は80年ぶり二度目の終着駅になった。
「2018西日本豪雨」で、大門駅の手前で鉄道が土砂崩れで埋まって不通となった。
発車する電車は全て始発。
なにか不思議な感じがした。
笠岡駅は明治24年7月14日に開業、その年の9月11日福山駅まで延伸するまでの終着駅だった。
前回はどんな様子だったのだろう?
開業で祝賀ムード一色だったのだろうか?
近郊の村々から陸蒸気と呼ばれる機関車を見物にいったのだろうか?
その頃の笠岡はどのように歌われたのだろう?
『鉄道唱歌』(明治33年)では
岡山駅の次は福山駅で、残念ながら、倉敷も笠岡も素通りされている。
『鉄道唱歌』(明治42年)には、
「金光駅には金光社
金光教会の本部あり
笠岡付近の名産は
世に広浜の水蜜桃」と、
広浜の桃が歌われている。
夏は窓を全開しているから、車内まで桃の香りがとどくような歌だ。
『鉄道唱歌』(昭和3年)
「窓を押さずや左手には
近づく海の冴え冴えと
浮かぶ白帆も神島
蔭の片島片あかり」
笠岡湾が歌われている。富岡の土手から笠岡湾が見えて、白帆も見える。
”蔭の片島片あかり”とはどういう情景なのだろう?
でも目をつぶればわかる気がする。
笠岡湾にはいつも神島と片島と白帆の船が見えていた。
子供心にも美しく感じてたあの風景は、目さえ閉じれがすぐによみがえってくる。
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2020年7月18日 土曜日2020年7月xx日