2020年10月13日  火曜日  鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石 「羽衣石城跡」          
北房    倉吉    橋津    羽衣石城    東郷湖    はわい温泉・泊   
10:00頃   11:17〜12:09    13:20頃    14:01〜15:21    15:50頃    16:00着   
                       



羽衣石(うえし)城に行くには、困難を極める・・・という程ではないが

けっこう難しかった。





まず、登城口までの道が標識もなく、山間の狭い道をすすんでいったが、その道でよいのか?

不安になった。



或る民家で問えば、「この道でいいです」と道と、そしてお城を指さしてくれた。

ほんとだ!山の上に天守閣が見えている。 














登山口に駐車場やトイレがあった。

広い駐車場が3〜4ヶ所あった。その周辺は桜の木が多く、花見に合わせた駐車場のようだ。









羽衣石城

戦国時代にこの地を治めていた南条氏の居城で、標高372mの羽衣石山に築かれた。
尼子氏・毛利氏の攻防の舞台になったが、慶長5年(1600)南条氏の改易で廃城となった。
現在、山頂には二代目の三層模擬天守と「羽衣石城主南条公累代碑」が建つ。

「別冊・歴史読本(伯耆国・大山)」 KADOKAWA 2018年発行





では登城を開始する。

登山道は上るだけで迷う道ではないが、

ところどころに、

細くて、滑ると滑落してしまう場所があった。




道は二本あるので周回する。(上った道を往復したくない)









石垣の遺構もあった。















ようやく、明るい空と山頂が近い曲輪に着いた。

展望台があった。


そこで展望と休憩をする。












展望台からの眺め、


前を見れば、

東郷湖と日本海が見える。









後ろを見れば、

羽衣石城天守閣と、・・・・・初めて人の姿を見た。しかも若い女性の人。













では本丸に登ろう。


















南条宗勝の碑と、二代目の模擬天守。






南条宗勝(なんじょうそうしょう)

伯耆国人で、戦国時代の羽衣石城主。
18歳で家督を継ぐが、隣国尼子経久の侵攻を受け、その傘下にはいった。
しかし大内義隆の月山富田城攻めでは、大内軍に参加。
さらに転じて毛利氏傘下に加わる。
天正3年に急死し、子の元継は羽柴秀吉傘下に入り伯耆三郡の6万石を領した。

「別冊・歴史読本(伯耆国・大山)」 KADOKAWA 2018年発行







天守閣の前から東郷湖と日本海を見る。はわい温泉街も見える。













帯曲輪。









下山道は転落する危険は少なかったが、

上り下りで脚がくたびれた。




しかし山陰の山中にある、羽衣石城に登城できたことの満足感も大きかった。










帰路に、もういちど山頂の天守閣を眺めた。


さらば”天空の城”、羽衣石城。








GoToトラベル道の駅「燕趙園」



2020年10月16日