2015年2月11日   水曜日  8:30〜12:30
笠岡市山口 第16回 史跡探訪とウオーキング・にいやま史跡探訪ウォーキング実行委員会
”生誕110周年記念 木山捷平ゆかりの地を訪ねる”





建国記念日は、毎年新山公民館に行く。

今年の史跡探訪ウォーキングは”木山捷平”にゆかりの地を辿るのがテーマ。





会長のT先生は「今年で米寿」だそうだ。

先生が手にしているのがお隣の北川公民館が発刊した本の紹介。
















今年の資料。

笠岡市の新山の生まれ、木山捷平。




捷平の”捷”・・・戦いに勝つ・・・の字は戦後、稀に見る漢字となったが

戦前はあふれる程の一般的な文字だった。


木山捷平は軍神・広瀬中佐が旅順港で戦死した日に生まれ、父が日露戦役の勝ち戦を願い名を付けた。











ここが捷平が通った新山尋常小学校。




新山小学校は現在、

吉田小学校と統合するのを控えている。


中学校が新山にあるので、小学校は吉田を残すという案が強いようで校舎は廃校の可能性が高い。













これは天神山。麓に丸善の工場がある山。

幼い日の捷平さんが遊んだところ。

















その天神山の近くの石橋地区、

小川に沿って大木が繁っていたがバッサリと切り取られ明るくなっていた。改修工事が始まるのだろうか?



















長福寺方面に向かう。














寺橋・井笠鉄道線路跡。

現在の県道笠岡美星線。ちょうどここは井原マラソンのハーフの折り返し地点でもある。





捷平さんが小学校の4年生の時、軽便鉄道が開通した。





「大正2年のことだが、妙な幸運から、私はこの開通式の処女運転に便乗することができた。

が、それよりもその前、鉄道工事をやっていた時分、工事用のトロッコにのった気分の方が、より以上になつかしく思い出される。」

(小説・口婚)







捷平の家から、

線路までは100m弱、一番近い新山駅までは900m位の距離になる。

















捷平さんのお墓。



















長福寺に行く。

長福寺は捷平さんの家の裏山を100mほど登ったとこにある。








この笠岡市山口は江戸時代の初期、岡山藩の飛地の時代があり藩主池田光政により焼き払われたそうだ。

備前の多くのお寺が光政により受難したことは知られているが、備中の備後に近いこの地でも災難があったようだ。










長福寺は宝暦(1760年頃)に再興がなった。


明治になって住職であった長尾円澄は果樹栽培で、広浜の渡辺淳一郎と並ぶ功労者。

















次に捷平さんの生家に行った。





これが捷平さんのおうち。

大陸から復員した捷平さんが昭和24年まで暮らした。




現在は新山地区の人によって家は守られている。






今日の史跡ウオーキングの行事もそうだが、

捷平さんの家、

井笠鉄道新山駅の管理、

新山地区の「文化を大切にする文化」は笠岡市でも群を抜いている。









古代の丘スポーツ公園の近く、長迫川の土手。






ここでの説明は、よく聞いていなかった、不明↑↓。





ここで史跡探訪は終了。










そして一路、新山公民館へ”豚汁”目指して帰る。









最初、この時期にしては暖かだった気温が昼になるころに冷えてきた。



今年のトン汁も美味かった。それで、美味しい豚汁がいっそう旨かった。
















Oくんと。






会場に着くと同時にOくんに会った。今日はずっといっしょに歩いた。



Oくんは高校の友人で今は、

公民館講座、美術館友の会役員、寺院の世話役等、忙しそうだ。



つぎ・おとなびパス「いましろ大王の杜」(史跡今城塚古墳)



2015年2月17日