2014年7月12日   土曜日             山口県周南市大津島  回天基地跡 
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 3:50   7:15〜7:31    8:21〜9:18        11:24〜13:00       14:30〜15:58   19:00 





馬島港から、回天基地跡への標識により2〜3分行けば「大津島ふれあいセンター」がある。
















その先に三叉路があり、

「回天記念館」と「回天基地跡」に分かれる。両方行くけど、まず「基地跡」に行く。
















これが「人間魚雷回天」がトロッコで海に出るトンネル。











もちろん、

兵器だけでなく、兵もこの250mのトンネルを通る。


では発射訓練をしていた時から70年を経て、えいちゃんもこのトンネルを抜けよう。







胸が苦しくなるようなトンネルだった。





そのトンネルの向こうに明るい海と、発射訓練基地が見えた。








ついにやってきた。大津島の回天基地跡。















人間魚雷回天は戦争末期に開発された特殊兵器で、

1.5tの爆薬に兵1名が乗り込んだ”目のある魚雷”。










潜水艦に4機の人間魚雷が取りつけられ、米軍の停泊艦隊近くまで行き

そこで4機の回天は発射された。




一度発射されると、帰る事は完全に不可能な兵器だった。



作戦当初は潜水艦から切り離される前に米軍の偵察で発見され、あえなく潜水艦ものとも沈没していたようだ。












そのため、

航海中の米艦隊に突撃するように作戦は変更された。
















回天の犠牲者は145人とされている。


戦争犠牲者の内数としては少ないが、特攻犠牲者の内数としても少ない。




その大きな要因に、

「必死の兵器」である事に加え、兵器としての操縦に高度の技術が必要とされたと思われる。






頽勢をいっきに挽回するには肉弾攻撃しかない、という面では黒木少佐にも一理はあるし

現在の世界状況を見ても・・・追い詰められた一団の行動・・・に通じる面がある。





しかし一理があるからと言って、認められる行動ではないのは当然。

70年前の軍の指導者は今の国民から見て恥ずかしい事が多すぎる。








この兵器を推進した黒木少佐(東映映画・「ああ人間魚雷回天」では鶴田浩二が主演)も、

訓練中に犠牲者となっている。



















トンネル内はレールこそ残ってないが、その敷設跡がはっきわかり

途中からは複線になり、


マイクで解説の放送が流れる。
















基地跡には休日という事もあり、

数組の見物人が訪れていた。




10年ほど前、

歌舞伎の市川海老蔵が「出口のない海」という映画に主演して、その映画は「回天」搭乗員の物語だそう。


それも理由と思え、若い見物人が多かった。






















馬島公園から見る発射訓練基地。















次に、山につづく「遊歩道」に行く。














遊歩道の下には学校がある。

大津島中学校。



この場所も元海軍の敷地で、戦争当時の倉庫(下の写真の赤い屋根)などが、ほぼそのまま残っている。














学校の校庭の端には石段があり、それは「地獄の石段」。






回天搭乗兵の厳しい訓練が染みついている階段。




つぎ・周南市B大津島



2014年7月14日