2014年6月9日 月曜日 10:14〜10:55
倉敷市玉島乙島(東地区)
玉島乙島の水島E地区への産業道路。
岡山県の24時間スーパー・ディオ。その向かい側に、
広島県福山市から岡山県や香川県へ24時間スーパーを展開する「ハローズ」。
このふきんは新倉敷駅前と並ぶ玉島の振興地域。
少し南に行けば「クラレ」があり、まっすぐ行けばハーバーアイランド。
その産業道路の西方に「カノ割公園」がある。
これは「玉島乙島郵便局」、煙突が目立つ。
乙島は源平時代は島だったが、主に江戸時代の新田開発により陸地化が進み
戦中戦後は工業開発で埋立された。
桜並木。
地形からみて水路の南側が近代の埋立で、北側が江戸から明治にかけての干拓地のようだ。
住友重機の工場が見える、右の山には乙島祭りで有名な戸嶋神社がある。
地神(?)のような神の石が二つ。
写真、右が「カノ割(かのわり)公園」。
新田当時は塩田か稲作か畑か不明だが、
今はすっかり住宅地に変貌し、農作地を探すのが難しいくらい。その一角に公園はある。
ゲートボールをするグループと、砲丸投げに似たゲームをするグループがいた。
そのグラウンドの角には記念碑が建つ。
まず、
左は「慶応元年乙島新開干拓完成」記念の碑。右は干拓地の水路が整備された(違うかもしれない)記念碑のようだ。
こちら、
左は「守屋庄屋遺徳顕彰之碑」、右は「大嶋翁顕彰碑」。
守屋庄屋は、
江戸末期の乙島の庄屋で「百余町歩の干拓」を父子二代で完成した。
大嶋翁は、戦前戦後乙島地区の発展に寄与した人。
カノ割公園から山側に向かう。
旧郵便局が建物だけ残る。
旧郵便局周辺は工場ができる以前は
乙島東の中心地であったような町並み風景が残る。
法面に石で作られた札所がある。
「第38番 奥ノ院」と板に書いてある。
ローソクは燃えている。
すぐ近くにある霊場の道標。
「十一面観音」とかかれたお堂。札所かどうかは不明。
社宅があったので山道を登った。
乙島と、向うの山は高梁川を越えた連島大平山。
社宅から下りと、狭いというか
細〜〜い道がつづく。手押し車以外の車両は通れそうもない。
この道は霊場までつづいた。
それがココ
「乙島四国霊場第37番」と書かれた札所。
霊場の前には大木があったようだが、
切り倒され、既に数十年が経っている様子だ。
2014年6月11日