岡山県(備中) |
少年雪舟 場所・場所・岡山県総社市井尻野 宝福寺 ブロンズ 作者 双共社・横田隆資 像高 120cm 台高 140cm 総社商工会議所創立20周年記念建立 岡山文庫 撮影日・2016年11月22日 |
少年雪舟 場所・岡山県総社市井尻野 宝福寺 撮影日・2006年11月16日 |
勝利の女神(サモトラケのニレ) 場所・岡山県川上郡成羽町 成羽町美術館庭 ブロンズ 複製 赤木喜三郎・宮本隆 ギリシャ彫刻(紀元前300年の制作) 像高 220cm 台座高 200cm 昭和42年建立 坂本厚生会寄贈 岡山文庫 成羽は愛宕花火で有名だが、町歩きも楽しい町。 成羽川が流れ、豪壮な陣屋の石垣があり、静かな武家屋敷がつづく。 町は高瀬舟を始め、水運や陸運の中継地として栄えた。 その成羽の町に彫刻の世界的名作「サモトラケのニケ」が建っている。 サモトラケのニケ Wikipedia 『サモトラケのニケ』は、 ヘレニズム期の大理石彫刻 。 翼のはえた勝利の女神ニケ(ニーケー)が空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像である 。 1863年に(エーゲ海の)サモトラケ島で発見された 。 頭部と両腕は失われている 。フランスのルーブル美術館が所蔵。 動的な姿態と、巧みな「ひだ」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされる。 大理石製で、高さは244cmである。 最初の発見は1863年で、胴体部分が見つけられた。 それに続いて断片と化した片翼が見つかった。 断片は全部で118片にのぼる。 その後復元された像は1884年にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示され、現在に至る。 郷土本の岡山文庫では下記の説明がなされている。 【岡山文庫】 勝利の女神(サモトラケのニレ) 場所・川上郡成羽町 成羽町美術館庭 ブロンズ 複製 赤木喜三郎・宮本隆 ギリシャ彫刻(紀元前300年の制作) 像高 220cm 台座高 200cm 昭和42年建立 坂本厚生会寄贈 (成羽の武家屋敷通り) 像は、成羽町出身の画家・児島虎次郎にちなんで置かれた。 撮影日・2016年5月18日 |
村上森造銅像(台座のみ) 場所・岡山県浅口市寄島町大浦 大浦神社 寄島の大浦神社に行ったとき、銅像の台座と思えるものに、やや不釣り合いの記念碑がおいてあった。 地元の方に聞いてみたら、 「銅像があったが、戦時中に供出した。戦後しばらくして、これではあまりに気の毒だから、と記念碑を置いた」 との話だった。 さらに、碑の人は○○を作ってくれた、寄付してくれた、という話を「知らせる」という感じでなく 「今でも感謝している」という口調で話された。 銅像が供出後70余年を経て、今に感謝の念を持たれる人が気になった。 それが貿易で財を成した村上森造翁だった。 「ふるさとの想い出写真集」 森脇正之編 国書刊行会 2020年発行 村上森造 村上森造は、寄島町早崎の豆腐屋に生まれ、 大志をを抱いて明治22年20歳の時、神戸へ出て、麦稈真田の貿易に従事し、 直接外国商社と取引して巨万の富を得た。 先見の明があり、絶ゆまぬ奮闘努力が知られていた。 公共事業、社会事業への寄付を惜しまず、 郷里寄島町および付近の町村の学校、役場、青年団、社寺、火見櫓などに多額の献金をした。 町民はこれに報いるため、大浦神社西に銅像を建立。 写真は昭和3年の銅像除幕式。 戦時中に供出された。 撮影日・2020年2月3日 ・・・・・・・・・・・・・・ 元寄島町役場の翁。 撮影日・2022年10月2日 追加・2023年8月4日 |
田村占義 場所・岡山県浅口市鴨方町鴨方 長川寺 鴨方の長川寺に胸像があった。 氏のことは知らないので、墓碑から転記する。 昭和24年果物出荷組合を創立し遥南園芸農業協同組合及び遥南園芸園芸農業出荷組合の名称にて昭和53年迄30年間殆ど組合長として、 この運営に当たり郷土産業のため献身努力せり 太平洋戦争中海軍参謀及び陸軍参謀として奮戦す 従五位 勲四等 海軍中佐 田村占義 (浅口市鴨方町) 撮影日・2022.3.21 |
作成・2021年10月9日 追記・2024年3月8日