和歌山県 |
徐福 場所・和歌山県新宮市 制作・ 不老不死の仙薬。--- 始皇帝はますますそれに強くあこがれるようになった。 徐福の上書に許可を与え、巨額の費用を出したのは、28年のことであった。 同じ年に仙人さがしを命じている。 だが3年たっても、仙人も仙薬もみつからない。 「小説 十八史略」 陳舜臣 毎日新聞社 昭和52年発行 始皇帝の行列は,会稽から呉にむかい、長江を渡り、山東半島半島南部を目指して進んだ。 徐福に命じておいた不老不死の仙薬について、詰問し、催促することにあった。 曲者の徐福、 もちろん予想される詰問に対する返答を用意していた。 第一は、暴風。 風波に負けぬ巨船が必要とするので、そのため歳月を要した。 この徐福はえらい人物である。 六国を滅ぼして天下を統一した始皇帝を、仙人だの仙薬をさがすだのといって、だまくらかして、財物をまきあげた。 凡庸な人間にできることではない。 ・・・ 和歌山県の新宮市と熊野市に、それぞれ徐福の墓がある。 童男、童女をのせた彼の船隊が、熊野灘沿岸に着いたと言われている。 「小説 十八史略」 陳舜臣 毎日新聞社 昭和52年発行 撮影日・2013年6月5日 |
おいの像 場所・和歌山県新宮市 浮島の森 和歌山県の新宮市の伝説。 県のホームページに載るほどだから、紀ノ國では有名な話なのだろう。 和歌山県企画部「和歌山県の民話」 美少女おいの 源平のころ、このあたりに、おいのという美しい娘がいた。木こりをしていた父のもとへ、昼の弁当を届けるのを日課としていたが、ある日、父が浮島の森へ行ったため、おいのも森へ入った。 この日おいのは、あちこち遊び回りたいと思い、自分も昼の仕度をして行った。父に弁当を手渡した帰り、石に腰をおろして弁当をひらいたところ、ハシを忘れたのに気づき、ススキの茎を折り、ハシの代りとした。 森の中は夏でも涼しく、あまりの快さに思わずうっとりとし、眠気をもよおした。遠く聞こえる規則的な父の斧の音に、しだいに夢の国へ誘われるようであった。 ふと物音に気づき、われにかえると、黒い大蛇が目の前に鎌首をもたげている、思わず「助けてっー。父さん」と叫んだが、すでにおそかった。 おいのの身体は、ひと抱えもある大蛇の大きな口にくわえられて、身動きもできない。 しきりに父を呼びつづけるおいのの抵抗も空しく、大蛇はゆうゆうと沢の茂みへ姿を消してしまった。 そこへ息せき切ってかけつけた父親は、池の面にただよう血なまぐさい空気に、不幸なできごとのすべてをさとった。 家に帰り、妻とともに再び森に引き返した父は「蛇の穴」と呼ばれている沢の片隅の穴のそばで両手をつき「せめて、娘の姿をもう一度みせて下さい」と、くり返し哀願したところ、一陣の強風が吹き起り、にわかに暴風雨となったかと思うと、大蛇が哀れなおいのをくわえて鎌首をもたげ、またたく間に蛇の穴へと姿を消してしまった。 父親と母親は、いま一度と何度も頼んだが、二度と再び、大蛇は姿をみせなかった。 おいのは、池の主に魅せられて若い命を落したのだった。 それ以来、熊野の人たちは、決してススキをハシの代りに使わなくなったという。 撮影日・2013年6月5日 |
xxx像 場所・和歌山県xx市xx町 制作・ 撮影日・xx年xx月xx日 |
xxx像 場所・和歌山県xx市xx町 制作・ 撮影日・xx年xx月xx日 |
作成・2021年10月9日 追記・2021年10月19日