2010年12月21日 火曜日 午前11:00頃
福山市大門町 枝広城跡
正月休み用の本を借りようと伊勢ヶ丘の福山市東部図書館にきてみれば、「休館日」の貼り紙だった。
それで伊勢ヶ丘の山側に向かって散策することにした。
伊勢ヶ丘8丁目と幕山台の境界にある大門高校。
大門高校の校庭側から山に登る。
右が大門高校で左が幕山小学校。
山の行き止まりまで登った。
正面に二本の両国橋が見える。
「両国橋」の左が備中国で、笠岡市鋼管町。右が備後国で、福山市鋼管町。
ココから先には行けなかった。
それで引き返す。
下っていたら、腐葉土にする落ち葉集めの老人から話掛けられた
老人氏に「どこか見晴らしのいいところは?」と問うと即座に
それは枝広城の城跡がよかろう、との返事で。
老人氏は道順を丁寧におしえてくれた。
今からもう5〜6年も前のこと。
「大門の駅から山側に、枝広城があった。
戦の折り、
城には幕を張った。
それから、その山は幕山と呼ばれるようになった」
と城主の子孫の方から話を聞いたことがある。
その時、枝広城のことが載っている立派な本「大門町の歴史」(←、こういう題だったかは自信がないが)を貸していただいた。
しかし、肝心の枝広城の詳細なことは忘れてしまっている。
土塁が現れた。ここが枝広城だな。
狭い山頂には崩れた小屋と石仏が立っていた。
山頂から、大門側に下るところに神社があった。
拝殿・本殿が極めて小振りではあるが並んでいる。まわりの雰囲気からも、長く大門の住民に祀れれている様がよくわかる。
枝広城址から見る大門町の展望。
天気が悪いのと、樹木が邪魔をして見通しは悪い。これで葉っぱがあれば何も見えない。
今日はシャープ福山工場などが見えている。
えいちゃんは伊勢ヶ丘方向から枝広城址にきたが、大門の神社なので、大門から登る古い道が管理整備されている。
えいちゃんの感じでは
大門町大門の人にとっては郷土の歴史になっているが、同じ大津野の野々浜や津之下の人でさえ
「枝広城」は存在が忘れ去られている。
今日、このページを作ろうとしても福山市の大門町の「枝広城」がネット検索でヒットすることはなかった。
2010年12月21日