2010年2月27日 早島 瀬戸大橋温泉・やま幸
都窪郡早島町早島 8:50〜11:10 11:30〜16:00



宇喜多堤は今、岡山県道152号線として早島の中心街を通っている。












県道には古い町並みが残っている。











その古い町並みに一段と大きな民家があり「いかしの舎(や)」と呼ばれている。



いかしの舎に入ってみると。


土産店を兼ねた受付があり、そこを抜けると庭と建物が繁栄した商家を偲ばせる。


(えいちゃんは表の県道からはいったが、裏側に駐車場があり、ほとんどの人は裏から入る)





(いかしの舎)




畳表・経糸の問屋として栄えた寺山家で明治末期頃に建てられたそうだ。




庭のまわりには大きな蔵が並び、その一角ではレストランもある。



レストランをガラス窓越しにみると客も多く、落ちついた雰囲気で食事やお茶を楽しんでいた。









母屋から見る中庭。



(いかしの舎)









これは母屋の二階。



(いかしの舎)


母屋では上の写真にも写っているように盆栽展と市をしていた。各部屋に盆栽が並べられていた。


そこでは「署名をお願いします」とのことで、えいちゃんも住所氏名を書いた。


すると、


「おめでとうございます。」 えいちゃん「??・・?」


「飛び賞で盆栽を差し上げているのです。」と小さな鉢の盆栽を手にもって笑っている。



えいちゃんは事情を言って・・・・まだ走るので盆栽が壊れる・・・・当選を辞退した。 署名で飛び賞があるとはなあ。













次は舟本荒神社を目指す。





ここだな、舟本荒神社。


ここは港だった。






「舟本津出場」と呼ばれるた船着場。

ここから畳表を大阪に海路で運んでいた。










舟本津出場前の汐入川。この川を下り、今の岡山市藤田あたりで海になっていたんだろうな。













そしてまた西へ走る。





「弁才天厳島神社」に着いた。元・弁才天港。


本日の最終目的地。






この弁才天厳島神社には写真↓のように境内に巨石がごろごろしている。




この石は海の石。

巨石は早島が島だったことを伝えるように残っている。

この場所もさっきの舟本と同じで港だった。やはり河川港で途中から児島湾の海路となる。










元・弁才天港の前。

新旧の水門が並んでいる。古い方は石造りで非常にどっしりしている。










そして田んぼ道を走って早島中央公民館に帰った。



イ草の全盛期からの田んぼが変わらず広がっている。でも、もう早島でも茶屋町でもイ草を見ることはできない。



えいちゃんが小学生の頃は、数少ない岡山県の「にっぽんいち」がイ草の生産量だった。







公民館の敷地内にある伝承館。






カギがかかっていたので窓から覗いてみた↓。




「織り機」いうのはだいたいみなよく似ている。このござ手おりが早島町や茶屋町を中心にして何百年もつづいてきた。

今はもう、長屋の倉庫にも残らず、こういう資料館にしかないのだろうな。








同じく公民館の敷地内にある「歴史民俗資料館」。

「公民館に申し出ればカギを開けます」というようなビラが貼ってあった、でも入らなかった。一人だけじゃしね、遠慮した。










えいちゃんは


長く、早島町のことといえば「結核療養所」がある町、というくらいしか知らなかった。


今は、国道バイパス(今の2号線)ができ、流通センターができ、早島ICができ岡山県の中心地になっている。


それでも、早島の町は素通りする道路がないので早島独自の文化のようなものがよく残されている・・・・・・というような感じを受けた。








つぎ・瀬戸大橋温泉














2010年3月2日