2009年6月22日
午前10:30〜午後1:30
笠岡市走出 「北川の史跡・文化財ガイドマップ」北川の昔を訪れる会(平成21年6月) により史跡を走った
9・両界曼荼羅図 持宝院
(「笠岡の文化財」の写し)
持宝院にある曼荼羅。
岡山県では最古の曼荼羅で、岡山県指定重要文化財。
一般公開はしてないので本でみるしかできない。 鎌倉時代の作品。
10・持宝院の梵鐘 持宝院
北川薬師、持宝院。
有名な薬師さんの梵鐘。
建長3年(1251)に那須の与一の子孫が造った岡山県最古の釣鐘。
建長の世から江戸時代まで、この釣鐘は転々と渡り歩き、今日まで無事保存されている。
途中、永禄12年(1569)には寄進のいきさつも刻まれてあるそうだ。
11・持宝院のヤマモモ 持宝院
根元周囲は6mもあるそうだ。
12・悲眼院初代院長高徳碑 持宝院
「悲眼院初代院長高徳碑」は何度も地図で場所を確認したがわからなかった。
悲眼院は明王院にあった。
悲眼院は大正3年から昭和25年まで医師が無報酬で治療をつづけ、薬師信仰や、地元の熱意などで運営された医療事業。
(明王院の石垣)
岡山県でいえば映画にもなった「石井のおとうさんありがとう」の石井十次と並ぶような庶民救済事業が、ここ笠岡市でも行われていた。
今は児童福祉施設が残っている。
13・農兵大山石次郎記念碑 持宝院裏
農兵大山石次郎とは走出花屋の住民で、戊辰戦争の時、一橋家に志願兵として入隊、奥州まで幕軍の兵として戦った人。
その生き残った本人が昭和2年、かつて転戦し活躍した記録を碑文にした記念碑。
碑文は興譲館校長山下先生が書いたもの。
農兵大山石次郎記念碑から見る持宝院北川薬師の甍。
かつて会陽がおこなわれていた北川薬師。
裸の男たちが神木を奪いあったのは、この場所ではないだろうか?
えいちゃんはここに立ち、
神木を投げる様子や、奪い争う様子をかってに想像した。
2009年6月24日