2007年9月24日 午前8:40ころ
笠岡市山口 新吉中学校
終戦時の日本に「青年学校」があり、10年間ほど存在していた。
新山村と吉田村は新吉青年学校を設立した。
この各村の組合立でできた青年学校は戦後、そのまま新制中学校にほぼ移行し。
昭和の市町村大合併では各村の共同歩調の元になった。
なぜ、
こういう事を書くかといえば。
新山村は小田郡北部に属し、吉田村は小田郡南部に属して境界を越えた青年学校であった。
小田郡南部の笠岡市が発足の際は北部の新山村も笠岡市に編入した。
その対極として北部の北川村がどれほど騒動を起こしたか、いま尚、青年学校時代と同じ「組合立」の小北中学を維持している。
旧県道からの坂道を昇ると、
そこに新吉中学がある。
そして坂道を下ると、
そこにも校門らしい造りあり。
旧・校門かな?
旧校門の前は旧県道があり、そのまた向こうに新県道が走っている。その中間に田んぼがあり、そろそろ秋景色。
新吉中学校は旧県道と農免道路に接している。
新吉中の美術部の画いた「ふるさと発見」には新吉地区の果物をPRしている。
尾坂池や鴨方の小坂につづく農免道、
その道から見る新吉中学校。
田園と山に囲まれた新吉中学、
えいちゃん時代もそうだったが、なんか地味な感じがする学校だなあ。
2007年9月24日