2007年4月30日 午前9:50〜12:40
笠岡市北木島町金風呂 笠岡の戦争遺跡・金風呂空襲
昭和20年8月8日午後10時頃から始まった福山空襲は国宝・福山城天守閣が焼け落ち、死者354人負傷者864人の被害を受けた。
爆撃機B29は総数91機、そのうちの何機かが帰路北木島金風呂を空襲した。現笠岡市区域で唯一の空襲被害地となっている。
北木島小学校前の護岸に手をあてて休んでいるお婆さんに当日の様子を聞いてみよう。
「あそこの山のところです。」
お婆さんが指差したのは金風呂のほぼ中央の背後の山だった。
「山でなく、いちばん上の家です。
電灯をつけていたので家がやられた。」
お婆さんの、その言葉表現は”国民の義務を怠る家”が空襲を受けた、という感じだった。
「アメリカは豊浦にいた鋼船を狙った。
船を狙って攻撃してきた、
それで私らはいそいで豊浦に見に(見物に)行きょうた(笑)。」
(豊浦港)
笠岡市史によれば金風呂の山火事発生と幼児1名の死者を出す被害を受けている。
つぎ・北木島@AB
2007年5月1日