2007年10月7日  午前11:20ころ
笠岡市茂平 千手観音

父がつねずね、「あの金箔を塗らなかったらえかった、あれさえせなんだらのう・・・。」と惜しむものがある。


茂平胴山にある共同墓地。

ここにお堂があり、
そのお堂の中には観音さまがある、そのこと。






父・
「あれは神辺から流れてきたんじゃ。(他の説もあるけど)

芦田川に出て、それから茂平の浜に流れついた。」(海に流れついたのは各説共通)



父・
「(子供のものごごろがつく頃には既に)信心している人が多かった。
信心する人は女で、かつ年寄りじゃった。」






父、
「金箔がすくくなり、きたなくなったゆうことで塗り替えた。

それからじゃ、アジが落ちてしもうた。

塗らんほうがえかった、塗っておらんと価値がでていたかもわからん。」









母、
「となりのおばあさんも信心しょうた。やとうもそうじゃった。
なるも、さんばさんとこも信心しょうた。」


母、
「月にいちど、お参りの日があり。
その日は、信心している人はお菓子を買って持ち寄り、お供えし、残りは食べたり持ち帰っていた。」











母、

「茂平だけでなく、よそからもお参りにきょうた。
列を作って集団でお参りにきょうた。」

母、

「そういえば、その期間は5〜6年くらいのもんじゃった。
戦後の、昭和25・26年のころの5〜6年間。
すぐに(他村からの)お参りはなくなった。」



母、

「安産と母乳への信仰じゃった。」



母、
「さいきんまで、ちえちゃんがお堂の掃除をしょうた。
足がよわった。
いまはだんなさんがお堂の草みしりをしょうる。」






なお、
「千手観音」は「せんじゅ観音」と読むのが正式みたいだが、父も母も「せんて観音」と言う。








つぎ・北木島へ














2007年10月7日