知恩院
いつの頃であったか、
多分東京で安倍晋ちゃん宰相が政柄を執りはじめた平成の18年の頃ででもあっただろう。
智恩院の紅葉が入相の鐘に散る秋の夕に、
これまで類のない、珍しい走りまくりの人がトモテツバスに乗った。
それは名をえいちゃんと云つて、三十歳(?)ばかりになる、住所は笠岡の男である。
固より旅行に連れ添うやうな親類はないので、バスにも只一人で乘つてきた。
と、あま、
ここまで書いて。
あらためて森鴎外先生の足元にも及ばない、地下深く掘っても及ばないことをいたく実感した訳でございます、失礼書きました。
知恩院の急な石段。
これまたよろしい。
石段を登れば境内は本堂などの建物が平面状に四方にある。
落ち着いた境内。
そして再び知恩院の三門を見てみよう。
その大きさに、
圧倒する迫力がある。
つぎ・知恩院Aうぐいす張B丸山公園
2006年11月24日