2006年7月8日 午前10:00ころ
広島市南区 比治山
比治山へ登る。
なぜ、のぼるかとゆーーと。
それは、
しゅーがく旅行できたんじゃー-。
むかし。
それから一度もきたことがない。
それで、今日は、その、
想い出の、
比治山へ○○年ブリに登ってみる、
そーゆう、
ことにしたんじゃ-.。
山に登りながら、
その日の朝のことを思い出していた。
それは昭和35年のこと、
1960年10月のこと、11月じゃったかもしれん。
真っ暗い道を歩いて小学校に着いた。
真っ暗い城見小学校の校庭で点呼をした、
それがすんで、出発!!!
6年生全員60人ちょっとは列を組んで山陽線大門駅へ向かった。
県境を越えて、こうぐち池の道を歩いているころ夜が明けてきた。
松林の道が少し明るくなってきた。
大門駅についた頃は、
もういくらか疲れていた記憶がある。
大門駅から旅行は出発開始。
汽車に乗って、あの、遠いところの広島に行く。
もちろん鈍行列車。
とうぜん蒸気機関車。
それはそれは、生まれてはじめての長旅じゃった。
次の記憶。
たしか広島駅からはバスに乗って東洋工業へ行った。
東洋工業は車を作っていた、
でも小型のトラックで、まだ乗用車はつくっていなかった(はずだ)。
お土産に生徒全員にボールペンをくれた、
ボールペンは珍しかった、まだ。
そのまた次の記憶。
比治山にバスは着いた、
楽しい弁当の時間じゃ。
そこで弁当を食べた。
母がつくった弁当を比治山で食べた。
比治山では記念写真を撮ったように覚えているが、その写真は残っていない。
比治山から広島の町がよく見渡せた想い出があるが、
どうも、
その日みた、広島の町はまったく記憶に戻らない。
45年前、
ほんとにここに来たのか?
そんなことさえ思われる。
売店のお婆さんに確認してみた。
「奥さん、ここが比治山の展望台ですか?」
「そうです。」
お婆さんは猫をなぜながら答えた。
ううん、思い出せん。
やっぱし。
45年は長い年月じゃのう、
そう思いながら山を降りた。
2006年7月9日