2005年9月28日 午前7:00ころ
笠岡市茂平 苫無〜阿浜 および JFE西日本製鉄所
「ヒルタ工業」、
この会社は茂平工業団地の最大企業。
ここは苫無といって茂平の海岸だった。
地名のとおり砂浜がつづき松原があり、漁師が網の手入れをして、子供たちの海の遊び場だった。
うしろの山は「高丸」という丸い山。えいちゃんがメジロを捕りに行く山だった。
そして山の麓には、(えいちゃんが産まれるすこし前)飛行機を隠す山だった。
大津野飛行場の飛行機を米軍攻撃から守るため、この山の麓に隠していた。
苫無の浜ではドンガメを焼いて食べたり、その想い出は語りつくせない程多い。
それが「苫無」。
茂平工業団地のすこし上から見る南、左右がJFE製鉄所でまんなか瀬戸内海。仙水島がいつも見える。
陶器の皿山、なぜか関係者(ここでは製鉄所の)以外立ち入り禁止区域となっている、??。
でも焼き物の人のみOKと。よくわからん。
野ノ浜への道を探したがなかった。これまた不思議。
では勝手に製鉄所の中にはいって行くか、と製鉄所にはいる。
「両国橋」
この「両国橋」は備後・備中を意味する。
手前・岡山県JFE製鉄所。
向こう・広島県JFE製鉄所。
この橋は日本鋼管専用の橋として昭和45年ころ完成している。今はもう一本、新・両国橋がある。
高丸は砕石場になっている。
東側から見るとまだ山の原型をとどめているが、こちらから見るともう山ではない。
昭和38・39年ごろ、岡山県と広島県の熾烈な県境の争いがあった。
県境が80mほど西側が東側か不明でもめた。
入港するトン税が広島県にはいるか、岡山県にはいるかという問題だった。
それが解決して茂平沖には日本鋼管福山製鉄所の大径管工場ができることになり、・・・そして海も消滅していった。
えいちゃんの遠い日の思い出の跡は、けっきょく何ひとつ残ってはいなかった。
2005年9月30日