2004年8月13日 午前6:00〜9:00ころ
倉敷市玉島港〜寄島港
笠岡駅発の「上りいちばん列車」は早い。朝5:09発。
ニワトリでさえ寝ている時間に家を出る4:45分。薄暗い県道を走り笠岡駅へ着く。この時間、笠岡駅は「無人駅」だった。
玉島の駅から玉島港方面へ走る。
「源平大橋」が近づく。
(水玉ハイウェイ玉島大橋)
勇崎の県道、そこに残る白い灯台。
この付近が玉島港の入り口だったんだろうな。
県道「玉島・長浜・笠岡」線。
この道はずっと海側を走るのかと思っていたんだがはずれた。
「沙美」までは海岸ちかく、けれど海に接しない、そういう道だった。
やっと”岡山県三大海水浴場”の”沙美”に着いた。
やっと着いた「沙美」は・・・ううううう・・・・。
こっこっ・・・・・こ。
これがさっ「沙美」かぁ・・・・あ。
少女がぽつん、一人。
黒崎漁港。
この漁港を過ぎたころ県道沿いには黒崎中学校と沙美小学校がなかよく並んでいる。
そこにまた「沙美」海水浴場。
いわゆる「さみ」とはこちらのことを言うのだったのね。
わかりました。
ここが「沙美海水浴場」。
すでに7:00はまわっていたが誰もいない。
店の人が掃除したりしてるだけ。
ところで、↓の写真のようにここは「瀬戸内海国立公園」なのだ。
けれど、国立公園というイメージはまったくありましぇん。
「日本最初の海水浴場」。
まだ19世紀。
明治13年ごろ、地元の医師が「海で泳ぐことが養生になる。」とこの砂浜で泳ぐことを推奨した。
上の写真の近く、そういう説明板がありました。
2004年8月13日