2003年9月10日 午後0:40ころ
福山市松浜町リーデンローズ 松竹大歌舞伎公演


公演はPM1:00。
入場開始は12:30。

12:30頃、リーデンローズには人が集まりだした。ほとんどの人がポートプラザから歩いてくる。






リーデンローズをひとまわりしてみた。
楽屋入り口には専用大型のバス。↓。









タクシーでの人はぱらぱら。
バスでの入場は↓の一団だけ。







客は女性が8割程度、またはそれ以上。
年齢は10代ゼロ、20代・30代数人程度、40代から50はじめまでがぼろぼろ。
50代なかばからいっきょに増える。
62・63〜70歳程度と思える女性が大塊。

建物内にトイレは多いが女性トイレはどこも列。逆に男性は貸切。







会場の大ホールは二階にある。
受付をしてはいると、歌舞伎キッズ(公演の説明本の店・タオル・キーホルダー・Tシャツ他)、とイヤホンガイドの店があった。






四代目松緑襲名披露の全国公演。
団十郎がひきつれて歌舞伎を広める行脚、そういう感じ。


団十郎の父は団十郎。
その3兄弟は揃っていた。次弟初代白翁(幸四郎)、末弟松緑。
これほどそろった兄弟はいない、それぞれ持ち味が違ったが重厚感は共通していた。


えいちゃんはじめての歌舞伎は初代松本白翁襲名披露歌舞伎だった。
父・子・孫の3代同時襲名。
白翁・幸四郎・染五郎。
染五郎はその時まだ稚児だったが、昨年隠し子存在がバレる年齢になっている。


歌舞伎にぜんぜん関係ない話しだけど。
染五郎の隠し子で、おやじ幸四郎が釈明の記者会見をTVでした。
「私が欧州公演中で不在でしたので・・・。」、見ている僕が苦笑いしてしまった。

寡黙な仏大統領ミッテラン。この人に隠し子がいた、質問された大統領「それがどうしたの?」の一言だけ。
このことで国民は拍手したり安心したりで、人気がUPしたそうだ。











歌舞伎は「河内山」からはじまった。
幕が上がると心はいっきに歌舞伎の世界になっていった。

「河内山」の幕は3幕。
「松江公玄関」ではがぜん盛り上がる。

「じゃまなところへ、きたむらだいぜん。」
「悪に強きは、善にもと。」
「え〜〜い、ぎょうぎょうしい静かにしろ。」

大向うから「おとわや!!」の掛け声。
ところがこれは迫力なし、ここは福山だもんね。しょうがない。

極め付きのせりふ。
「ぶゎあかめ〜〜い。」
観客全員の拍手なりやまず退場していった。







次が襲名披露口上。
裃姿で出演12・3名が全員一人ずつ挨拶する。
これも楽しい。
新・松緑の父親の辰之助。これはいい役者だった。
水谷良江(現・八重子)と浮気騒動しているうちに亡くなってしまった。
もったいない役者だった。




20分の休憩後「棒しばり」の幕が上がる。
松葉目もの。

酒好きな男が両手を縛られた。それでも大酒を飲んでしまう、というユーモラスな劇。
(期待してはいなかったが)最初から最後まで笑わせ楽しませてくれた。












リーデンローズの会場舞台は音楽ホールを主体に設計されている、あたりまえだけど芝居小屋から発展した歌舞伎座の設計とは違う。
演じる人も見る人も、それを前提にしている。
そうではあるが・・・やっぱし、音楽ホールは歌舞伎座にはほどとおい。











観客の入りは7割〜8割程度。
襲名披露の挨拶の際、団十郎が言っていた。

「芸を伸ばすのも、皆様が歌舞伎を愛し応援していただいてこそ。」と。
えいちゃんも笠岡から静かに応援していきたいと思います。







つぎ・葡萄浪漫館















2003年9月11日