作者紹介


祖父(父の父)が健在であった頃、この人は19世紀・20世紀・21世紀を生きたこと、見たことになるのかと思っていたが、祖父は10年近くまえ100歳で亡くなった。

父は80歳を越えた。大正6年以来ずっと茂平に住んでいる。
私は高校まで茂平に住んでいたが、今は茂平の会社に勤務している。

少しでも茂平の事が、このページで「茂平はそんなことがあったのか」と興味を持っていただければ(実は私自身を含め)と思って開設します。

99年12月29日

「半七捕物帳」の記者のような休日を半年近くつづけている。

話の中身はだいぶんとぶれているが・・・茂平のこと、自分・親類のこと、世相のこと・・・・これは作者のきまぐれでもある。

年代については父の記憶違いも多い、これは長年生きてきたあかしでもある。


話を文章にするのは父と私の年代が重ならない場合特に難しい、というか時代がわからないため表現しにくい。
政治・世相についてその時代をとりあげたマスコミ・書籍で見る・読むものと、実際に岡山県の田舎で生活をしていた父と母の感じかた暮らしには格差の大きいことを実感する。

2000年05月20日


母校・城見小学校のT先生という方からメールが届いた。「城見小学校のホームページをこの度たちあげた。”茂平の話”をリンクしてもいいでしょうか?」

インターネットの発信者は個人・法人問わず一方的に好き勝手な情報を流し、かつ自己満足している面がある。それがネットそのものでもあるが。
作る側としてはリンク依頼のメールは嬉しい。
せっかくの先生のご厚意ではあるけれどリンク者が「公」そのものであり、一族の「私」話しが多数あるこのHPはリンク不適格と辞退した。

父は5月26日、お腹の大手術を笠岡市民病院でした。
どの状態まで回復して再度「茂平の話」を語ることができるようになるか?それはわからない。

だがホームページ「茂平の話」に終わりというものはない。
なぜなら作者の興味が前後左右に揺れつづけ、広い意味での「茂平」の話しは僕の終生にわたり増え続いていくのが確実だから。


2003年6月6日