明治以後の茂平新田


大正10年8月から12年2月にかけて、水害水害防除。干拓地内に流れ込んでいた砂川を東郷新田の東側山ろくに沿って新川床をつくり、余った水を直接海へ放流する工事が行われた。その記念碑が川口に立てられている。


 また、昭和26年度から、高潮害対策事業として、防潮提の補強工事に着手され、あわせて水門工事、排水機新設工事、防波堤工事などが継続施工となり、昭和31年度をもって終了している。総工費1800万円余、この工事の完成記念碑も水門のそばに立てられている。


 なお、この茂平新田は、明治17年8月の大津波で、吉原新田の堤防が約30メートルにわたって決潰し、海水に浸ったことがある。当時沖に漁に出ていた村民が帰ってきて、八幡社のある「宮ノ崎」の奥まで船を乗りいれたということを、今も語り伝えている。






2000年11月11日


2001年5月1日の新川