喜びも悲しみも幾年月


新聞の物故者の欄に「小名浜の田中さん」が載っていた。田中さんは92歳で亡くなった。

小名浜に居る頃、毎年のようになにか田中さんは新聞の記事に一度はなっていた。

小名浜に赴任した時、ここが「喜びも悲しみも幾年月」の灯台ですよ、と、すぐ説明してくれた会社の運転手さん。
その灯台(塩屋崎灯台)と、ふもとの薄磯海岸は僕の一番好きないわき市の風景になった。

映画「喜びも悲しみも幾年月」に塩谷崎灯台は数秒しか出ない。
映画の舞台には程遠い。
だが主人公ご夫婦は定年後小名浜に住み着いていた。これがおおきかった。ご本人は、隠れた小名浜の名士として住まわれていた。


この映画は「赤銅鈴之助」と併映されていた。茂平婦人会は今ワシンになっている笠岡の殿川の映画館に見にいった。母と姉が行った。
僕も見に行きたかった。

僕が社会人になって最初にみた映画が呉の映画館での「赤銅鈴之助」だった。それほど、見たい映画だった。そのことを母に言うと、すまなさそうな表情をしていたのを忘れられない。


2002年4月8日