2 イチジク

地図からうかがえる限り茂平一帯は、かつてはラグーンであったはずで、それが干拓をされて現在の底平な耕地となったことは明らかである。

聞くところによると、すでに江戸時代水水野蕃が新田開発を行ったところであるという。

茂平といえばイチジクと、イチジクで知られたところである
広く笠岡市域は、県下でも果樹特に桃で名をはせたところである。しかもこの茂平を含め城見一帯は同じ笠岡市内でも果樹率が最も高く、30%もある。

すでに明治末年にミカン、ブドウ、イチジク、つづいてモモ、ビワが植え付けられている。なかでも最盛期昭和三十年代に入っては、丘陵地のほとんどはモモ畑に転じ果樹率も60%になったほどである。

またこのころイチジクも盛行をみ、新田低地がこれでおおわれることになった。
幸いにしてイチジクは水辺性の植物であって、水湿に恵まれた低湿なここ茂平の干拓は、この上ない土地条件であったのである。
それに花崗岩山地の間のラグーンであっただけに、極めて砂質な土壌と相埃って果樹の育成にもってこいで、わずかにカミキリ虫の防除くらいの世話で十分な成果を期待することができるのである。

茂平イチジクと名をえたイチジクは、干しイチジクのであって収穫時に硫黄燻蒸をしたあと、天日乾燥という加工食品である。だが最近では燻蒸に問題があることや手間のかかることから、在来種の生食の赤イチジクに力が入れられるようになっている。

また同時にもっとあつかいやすいイチゴが台頭してきていることも見逃されないであろう。

ここで以上のような農村はいまは激しく変ぼうしつつつあることを加筆しなければならんであろう。

【続く】

2001年4月29日