三井造船・1
- 昭和48年11月鹿児島にさよならして、郷里岡山県に帰ってきた。即三井造船玉野船渠工事事務所に勤務となった。
びっくりしたのが、経験した事の無い優秀な人材が多かった。ほとんどは五洋建設の看板工事のひとつであった石川島播磨の呉80万トンドッグ建造工事からと、北海道函館ドッグの15万トンドッグからの転出組みであった。
- なつかしい岡山弁をまた聞く事ができた。
- 玉には、小さな衣料店があった。その店の名は「はるやま」いまでは全国チェーン店である。
- 当時オイルショックではあるが、経済成長の頂点(をとうりこしたか
)でもあった。
- 参議院選挙があり、入社時におせわになりまた県知事3選には遠く鹿児島より無力であった…そのうえ落選…加藤前岡山県知事の参院選出馬に際しては自分なりに一番燃えた選挙でもあった。
全社員のみななず造船所構内に働く全労働者に配られた。朝から鼓笛隊がパレードして…今はどうなのかしら ?
- 三井病院に三井生協、とにかく三井(造船)でなければ
玉野市長選に杉本三井造船所長が出馬して当選。まして玉野市玉では三井でなければカクシタもいいところであった。
99・11・28
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